2011年4月5日火曜日

Theatre Essay 観劇雑感 「空突き抜けてゆく、hideのメロディ」(2011.3.24ロックミュージカル「ピンクスパイダー」)

「ピンクスパイダー」(写真提供:る ひまわり)
4月10日=名古屋:愛知県芸術劇場大ホール 15日=神戸:神戸国際会館こくさいホール 23日=札幌:ニトリ文化ホール  
2011.3.24 ROCKミュージカル「ピンクスパイダー」(東京グローブ座)
 元X JAPANのギタリストで、98年に33歳でこの世を去ったhideの楽曲で綴るミュージカル。
大音量のショウであることは、観る前から想像できる。この時節に敢えて観に行くことについて迷いもあったが、震災で中止となった公演がなぜか気になり続け、2週間後、チケットを振り替えてもらった。
客席に入ると、筆者と同じ気分が蔓延していたのか、ロックショウらしからぬ静けさ。hideが生前見出したバンドが母体のdefspiral(デフスパイラル)が舞台後方でイントロを演奏し始めると、もともとシェイクスピア劇を上演するため作られた劇場とのミスマッチがことさら感じられ、キャストの歌も大音量ゆえか歌詞が、聴き取れない…。
フラストレーションが溜まってきたころ、始まった一曲に目を見張った。バンドの大音量を束ね、ぐいぐいとひっぱってゆくような声量でありながら、言葉もメロディも明瞭。defspiralのボーカルTAKAが歌う、本作のテーマ曲「ピンクスパイダー」だ。間奏で登場するダンサー戸室政勝の舞踏風ダンスも、「ピンクの蜘蛛」を自由に体現してみました、といった趣で楽しい。この曲をきっかけに、舞台は急速に熱を帯び、場内が一つにまとまってきた。
一度は夢をあきらめ、会社員となった男と、まだ夢を持ったことのない少女。二人がケータイ(hideが名づけるところの「サイコミュニティ」)を通して出会い、交流する中で改めて「夢」に生きようとする…、という大筋(脚本・竹内佑)はあるものの、『マンマ・ミーア!』系の、ストーリーと楽曲が密接に絡み合うカタログミュージカルとは異なり、より、楽曲世界を呈示することに重点が置かれている。
少年期にKISSなどのバンドに影響を受けたというhideの音楽は、疾走感たっぷりなものからメロウなものまで多彩だが、ほとんどが開放的に展開。パワフルな「ピンクスパイダー」など、空をも突き抜けてゆくような爽快感に満ちている。hide自身による歌詞も、♪「蝶の羽根いただいてこっち来いよ」「向こうでは思い通りさ」ピンクスパイダー 「行きたいなぁ」♪といった具合で、内にこもった個人の心象記というより、親しみやすく、皆で共有できるドラマ脚本のよう。hide自身も生前、ミュージカル制作には少し興味があったというが、今回、彼の歌から「ロックミュージカルを作ろう」と思い立った人々がいたのもあながち、とっぴなことではなかったと感じられる。
ブリッジが斜めに交錯し、実際に踊れるスペースがかなり限られた舞台であることを感じさせない、複雑だがきびきび、スムーズに流れるステージング(大村俊介、港ゆりか)が秀逸。キャラクターの雰囲気がよく出ている渡部豪太、高橋瞳の主役コンビ(Wキャスト)はじめ、前述のTAKAやヴァイオリンの腕前も見せるmisc(みすく)ら、出演者も芸達者揃いだ。(hideの「弟分」だったというJ(ジェイ)も特別出演し、ソロを歌う。)
だが今回の舞台で最も印象に残るのは、出演者たちの技量ではなく熱気である。
ストリートとジャズをミックスさせたようなダンスに、音程のぶれない歌声。彼らの技量はぴか一だが、それ以上に彼らの表情は生き生きして、今、生きて踊り、歌い、舞台に立てることの喜びに満ち溢れていた。その姿に、最初は当惑の静けさに沈んでいた観客の心も昂揚し、最後には場内が一つになって、ポジティブな気分を噛みしめたのだった。
hide13回忌メモリアルに、彼の音楽の可能性をミュージカルと言う方法で広げるべく始まったというプロジェクトだが、時節柄、本作は「生命讃歌」という新たな使命を帯びることになってしまった。
生前のhideのことはよく知らないが、ファン思いの優しい人物だったという彼が、もし今回の震災を知ったなら、作品が新たな意味合いを持つことについても、きっと「いいんじゃない?」と肯定するのではないだろうか。
「生きているからこそ、だよ。生きてることを、大切にするんだよ」、と。

2011年4月2日土曜日

Today's Report [Art] 漆黒の闇の中に、浮かび上がる光


Photo:Marino Matsushima
 「レンブラント 光の探求 闇の誘惑」6月12日まで=東京・国立西洋美術館 6月25日~9月4日=名古屋市美術館

2011.3.11 「レンブラント 光の探求 闇の誘惑」展プレスプレビュー(国立西洋美術館)
17世紀オランダを代表する画家、レンブラント。
 終生、光と陰影の表現を追究しつづけた彼の画業を、アムステルダム国立美術館、大英博物館、ルーブル美術館等の収蔵品100点以上を通して回顧する展覧会である。
 入口で音声ガイドを借り、今回のガイド、辰巳琢郎の明るく、てきぱきとテンポの良い語りに導かれながら会場に入る。版画がメインとあって、通常の展覧会よりもやや薄暗い場内に、まずは10点ほど、レンブラントと同時代の版画家の作品が並ぶ。
…どれも、「黒い」。
遠目には、画に描きこまれたラインよりも、黒く塗られた面ばかりが目立つ。
ひときわ「黒」に支配されているのがヘンドリック・ハウトの作品「エジプト逃避」。夜景なのか、黒い空の下にさらに漆黒の森が描かれている。近づくと、真っ黒に見えた画面の中央にわずかにインクの乗りが控えめな部分があり、ほうっとほの白く、みどりごを抱えた一組の男女の姿が浮かび上がる。ヘロデ王の手を逃れてエジプトへ向かうヨセフとマリア、そしてイエス。周囲の闇が濃い分、人物像は弱弱しくも神秘的な光を浴びて見え、宗教画としての効果は絶大。目が慣れてくると、黒く塗りつぶされて見えていた部分も実は緻密な線の集合体で、それらが微妙な陰影を織りなし、画面に奥行きを与えていることが分かる。
「黒」と「白」という制約の中で、版画家が重ねただろう工夫。その結果画面に現れるのは、観る者に畏怖さえ覚えさせるほどの深遠さだ。当時、「黒い版画」と呼ばれたこれらの作品を特に愛好し、収集したコレクターがいたというのにも納得がゆく。

レンブラント:ファン・レイン「3本の木」1643年
エッチング・ドライポイント、エングレーヴィング 21.3×27.9cm 国立西洋美術館蔵
この「前置き」を経て、レンブラント本人の作品が並び始める。…やはり、黒い。逆光を表現したという「帽子をかぶる自画像」など、左の頬にわずかな光が当たるばかりで、大部分が影になっている。何もここまで真っ黒にしなくても、とつぶやきたくもなる。
だが、それまでの参考出品と比べると、レンブラントは漆黒の闇を表現するのにも、規則正しく線を重ねるのではなく、一本一本、表情のある線を描きこんで作り上げている。この自画像も、どこか遊び心を感じさせる軽妙な線がごにょごにょ重なって影をなし、そこからきょろっと覗く彼の目が、親しみさえ抱かせる。
この軽妙さと対照的なのが、風景画「3本の木」の線表現だ。一見、タイトル通り3本の木が並ぶ何ということのない光景なのだが、例によって至近距離から覗き込んでみると、木々を覆う空に描きこまれた線の表情が、尋常ではない。画面を荒々しく切り裂くように重ねられた直線や、もうもうとうねるようにひっかかれた曲線が、まるで憤怒の念のように立ち込めている。木々の生える草原には釣り人やじゃれあう恋人たち、性衝動のシンボルであるヤギがいて(…と解説にはあるが、実際にはこの部分の刷りのあまりのまっ黒さに恋人たちやヤギを探し出すのは至難の業)、本来は牧歌的な光景らしいのだが、全体的な印象はそれとは程遠いものがある。レンブラントは前年、愛妻を亡くしており、その喪失感がこの異色の風景を描かせたという説もある。線に込める卓越した表現力ゆえに、時を経てもなお作者の心の「痛み」が伝わる作品である。

レンブラント・ファン・レイン「病人たちを癒すキリスト(百グルテン版画)」1648年頃
エッチング、ドライポイント、エングレーヴィング 27.8×38.8㎝
国立西洋美術館蔵
レンブラントが生きた17世紀のオランダは、日本が当時、中国以外で唯一交易した国でもあった。日蘭交易の証を、レンブラントが重用した「和紙」刷りの作品を通してみることができるのも、本展の楽しみの一つである。
オランダの銅版画に和紙?
i意外に聞こえるかもしれないが、実は和紙はインク乗りがよく、プレスに大きな力を必要としないので原版が摩耗しにくい。またしみこんでしまうこともないので、版画には最適の素材なのだそうだ。深い黒の表現が可能なこの素材をレンブラントは特に好んだが、長崎・出島からはるばる輸入される和紙は当時非常に高価なものだったため、原版がまだまっさらな「試し刷り」の段階で和紙を使い、その後西洋紙で多くの枚数を刷ったと言う。本展では第二部で和紙刷りが特集され、数多くの作品について、「和紙刷り」「西洋紙刷り」、またいくつかの作品については「ヴェラム(羊皮紙)刷り」までが一堂に会する。たとえば「病人たちを癒すキリスト」。国立西洋美術館収蔵の和紙版が柔らかなアイボリーの地にじんわりと広がる黒のグラデーションが味わい深いのに対して、アムステルダムのレンブラントハイス収蔵の西洋紙版は白黒のコントラストが明確で、よりレンブラントの線の表情を際立たせている。コレクターの間でも和紙版は豪華版として高値で取引されてきたそうだが、「闇の表現」をとるか「線の表現」をとるかで、好みが分かれるところかもしれない。

ところで、このプレス内覧会の終了直後、日本はあの大地震に見舞われた。筆者は早めに会場を辞していたのでその時の状況は不明だが、作品、建物ともに幸い、被害にはあわなかったという。ただ、ル・コルビジェ設計の本館は平成19年に重要文化財に指定され、ユネスコ世界遺産の今年度審議候補にも挙がっているためしばらく点検休館。326日のオープンとなった。開館スケジュールが当初の予定から変わり、今後も変更の可能性があるため、来館前に公式ホームページ(http://www.ntv.co.jp/rembrandt/index2.html)などで確認することがのぞましいそうだ。
地震後、東日本の各地で計画停電が実施され、筆者を含め、生まれた時から電気のある生活が当たり前だった多くの人が、蝋燭や乾電池式ランタンの頼りない灯りにすがる夜を経験した。日の入りとともに夕闇と寒さが、容赦なく世界を覆う瞬間も、停電が終わって甦った光が、ことさら有難く感じられる瞬間も。今なら、電気のない時代に生きたレンブラントの作品から、さらに多くのものを感じ取れるかもしれない。筆者も会期中、ぜひ再訪したいと思っている。