2011年6月21日火曜日

Theatre Essay 観劇雑感 「久々に見た、スター」(2011.6.6 『氷川きよし特別公演』)



2011.6.6「氷川きよし特別公演」(明治座)
 久々に、いわゆる「座長公演」を観た。演歌歌手が主演するお芝居に、歌謡ショーがつく、というお約束のプログラムだ。
 今回のお芝居は「銭形平次~きよしの平次 青春編~」。長谷川一夫の映画版、大川橋蔵のテレビ版などでよく知られた捕り物帳「銭形平次」の設定を借り、座長・氷川きよしのために堀越真が脚本を書き下ろした。人生の目的を見つけられず、ふらふらしていた18歳の平次が縁あって岡っ引きとなり、消えた三千両探しに奔走するうち、人間的な成長を遂げるという物語である。氷川の持ち味に合わせ、殺人などは排して明るい内容に工夫したという。
氷川は座長公演での芝居は4年ぶりだというが、大空真弓、横内正らそうそうたるベテラン俳優に囲まれても気後れすることなく、たっぷり、堂々と演技。平次の亡き父を知る筆頭与力役で、前進座の瀬川菊之丞が出ていたのには驚いた。(色っぽい二枚目のイメージがあったのだが、今回は落ち着いたさばき役で芸域の広さを見せている)。演出面で欲を言えば、立ち回りシーンではもうちょっと「手」(振付、段取り)を多くしてわくわくさせてほしいのと、場面転換をスピードアップしてもいいのではと感じたが、客層の大半を占めるシルバー世代がゆったり、のんびり観られるようにという配慮だったのかもしれない。
さて、芝居が終わって30分の休憩後、いよいよショータイム。
中央の大階段を挟んで、舞台左右に広がるバンドが賑々しい。オープニングの演奏が始まると、暗かった場内が一瞬にして眩しく転じた。客席を埋め尽くす人々が、お約束の(だったらしい)ペンライトを取り出し、音楽に合わせて振りはじめたのだ。
筆者のいる二階席から階下を見下ろすと、中には両手に1本ずつ持っている人も…いや、3本束にして振っているつわものもいる。ペンライトの種類も先端に星形がついていたり、羽根がついていたりと多様だ。(その振り方も、ロックやアイドルのコンサートと違って左右、テンポがまちまちだったり、ショーが進むにつれお疲れなのか振っている人が少なくなってくる、自由な感じなのが、いい。)
そしてお馴染みのデビュー曲「箱根八里の半次郎」のイントロが流れ、大きな帽子をかぶった洋装の氷川が階段上にセリ上がってくると、これまで、どの劇場でも経験したことのない現象が起きた。
「うわあっ」というどよめきとともに、期待に満ちていた観客の体温が上がったらしく、一瞬にして場内が蒸し暑くなったのだ。
サッカーや野球の試合の若い、あるいは中年男性メインの歓声とは全く異なる。宝塚や歌舞伎、あるいはブロードウェイの人気ミュージカルの喝采ともまた異なる。
「この人、好き」という単純なものではなく、もっと切実な、人々の腹の底から湧きあがるような「うわあっ」。
「この人を見る(聴く)のが楽しみで、今日もまた一日、生きていられる」とでもいうような、ある程度人生を経てきた客層ならではの、深い感慨のこもったどよめきなのである。
この圧倒的な観客の思い、期待に、氷川はまったくおじけることがない。
何度も衣裳を変え、ダンサーたちを従えながら、今の日本の歌謡界で一、二を争う(と、筆者は思う)確かな音程と豊かな声量を、惜しげもなく披露する。「国破れて山河あり…」で始まる杜甫の詩吟「春望」を織り込み、ごまかしのきかない大曲「白雲の城」を終盤の12曲目に持ってくるあたりなど、相当、喉の強さに自信があるのだろう。その一方では、歌の合間のトークで三階席の観客にも声を掛けたり、「みなさん、今日はどちらからですか?」と問いかけ、「広島」「徳島」など次々に遠方の地名が挙がると「有難うございます」と言った後でぽつりと「僕の好きなところばかり」とつぶやき、優しい人柄が垣間見える。おばあちゃん世代から「理想の孫」と呼ばれるゆえんだ。
ショーの〆は、「きよしのズンドコ節」。それまで袴姿だった彼が衣装替えに引っこみ、大階段の上から、「ベルばら」のオスカルよろしく、真っ赤な軍服で現れた。これが意外にも、細身の氷川にぴったり。もはや、曲とのミスマッチなどどうでもよくなる。ペンライトを膝の上でしばらく休ませていた観客も、その素敵さに煽られ、再びリズムに合わせて振りはじめた。そしてさびの部分に来ると、合いの手の「き・よ・し!」を大合唱。賑やかで楽しい、フィナーレだ。
終演後、階段やエスカレーターをゆっくり、連れと喋りながら降りてゆく観客たちの表情は、一様にほころんでいた。
 人を「幸せ」にする。これぞ、「スター」だ、と久々に思った数時間だった。
劇場内食事処の月替わり膳は、銭形平次にちなんだ「明神下御膳」。蕎麦に季節野菜の天麩羅、炊き合わせ、明治座自慢の鮭柚庵焼、しょうがご飯。優しい味付けで幕間に食べ切りやすいボリュームだ。
(追記)本記事について、読者の方から誤字の指摘を頂きました。感謝しつつ、修正させていただきました。

2011年6月17日金曜日

Today's Report [Art] 「技法」からクレーを知る回顧展

「パウル・クレー おわらないアトリエ」東京国立近代美術館 開催中~7月31日まで。開催スケジュールに変更の可能性があるので、来館前にはHP等でご確認を。http://www.momat.go.jp/
2011.530「パウル・クレー おわらないアトリエ」展 記者内見会(東京国立近代美術館)
 一人の作家の回顧展というと、作者の人生(画業)をいくつかのステージに分け、それに応じて作品を時系列に並べるのが一般的だ。
最近の好例としては「ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」(201010月、国立新美術館)。誰もが知っているゴッホの画業を改めて整理し、希望を胸にパリに上京したゴッホが、自分のスタイルを徐々に確立させて行く一方で周囲と衝突。そのまま狂気、自死へと至る過程を、アトリエの再現などの工夫とともにわかりやすく、臨場感たっぷりに紹介していた。作品展示を見終るころには、芸術に没頭するあまり破滅してしまった一つの人生の痛ましさが、余韻を残す展覧会でもあった。
今回のパウル・クレー回顧展はしかし、この「時系列」スタイルをとっていない。
「方法」型、つまり、作家がどのように作品を制作したかという「方法」ごとに作品を分け、提示することで、クレーの画業を紐解くのだという。
これまで、ありそうでなかった(と思われる)展示スタイルに興味を抱きつつ竹橋、東京国立近代美術館の特別展会場に足を踏み入れると、まずはクレーの自画像の数々に迎え入れられる。ユーモラスだがどこか繊細で、「ひょっとして家族や友人は付き合いが大変かも…」と思わせる線描の自画像。その次の展示室の、彼が各地に持っていたアトリエの写真とそこに写った作品群展示の中には、よく見かけるクレー作品もあり、「そうそう、クレーと言えばこういう色彩、構図だった」と再確認させられる。そしていよいよ、メインの大空間へ。
「うん?」
どう歩いたものかと一瞬、とまどいを覚える。
大空間の中にはいくつか展示パネルの「島」があるが、それらは三面、あるいはそれ以上の面を持ち、いびつな形をしている。(後で会場を上から見た設計図を見ると、三角形だったり凹みのある台形だったり)。これだけでもかなり不思議な感じがするが、それらの配置もまた不規則なので、観る側は最初のパネルを見終ると「次は、どこ?」ときょろきょろしてしまう。とりあえず裏手に回ってみたりするうち、通常の展覧会のように「順路通り」に鑑賞しなくてはという感覚が失せ、「ぶらぶら歩き」のような気楽さが生まれてくる。
これこそ、本展の趣向の一つなのだそうだ。
《バルトロ:復讐だ、おお!復讐だ!》1921,5 紙に油彩転写・水彩・上下に水彩による帯・厚紙に貼りつけ、24.4×31・2㎝、個人蔵(ベルン、スイス)
内見会後の記者会見で本展を担当した、東京国立近代美術館の三輪研究員が語ったところによると、この会場デザインは建築家、西澤徹夫によるもの。「一つの展示パネルを見ていると、別のパネルの作品もちらちら視界に入ったりする。自由に、絵画の森の中を散策しているような感覚で鑑賞できる(というのが狙い)」なのだそうだ。ちなみに京都会場での本展も同じデザイナーが担当したが、このときは図書館の書棚のような別バージョン設計だったという。
さて肝心の、この部屋の展示はというと、クレーが試みてきた様々な技法のうち、代表的な4つの紹介。「油彩転写」「切断・再構成」「切断・分離」「表裏の利用」の技法を用いた作品群が、4つの「島」に振り分けられている。
《E.附近の風景(バイエルンにて)》1921,182 紙に油彩・インク・切断して再構成・水彩とペンで縁どり・厚紙に貼りつけ、49.8×35.2㎝、パウル・クレー・センター(ベルン) 
《カイルアン、門の前で》1914,72 紙に水彩・鉛筆・厚紙に貼りつけ、13.5×22㎝、ストックホルム近代美術館
最初の島で紹介されるのは「油彩転写」。目に留まりやすい位置に書かれた説明によると、鉛筆やインクで素描を描き、それを黒い油絵の具を塗った紙の上に置いて、素描の線を針でなぞる。転写された線描の上に、彩色したり、リトグラフなどに発展させるという技法、とある。「素描と彩色画、版画の間を揺れ動くような技法」なのだそうだが、これだけ読むと「最初から油彩キャンバス上に線を描いてもよさそうなのに…なぜ、そんな手間を?」という疑問がわき起こり、何度も読み返してしまう。
だが、解説から離れて作品群を見始めると、「わざわざ転写された」線には一目瞭然、独特の風合いが見て取れる。「バルトロ:復讐だ!おお、復讐だ!」の素描と油彩転写バージョンを例に取れば、油彩転写のほうの線には、直接描いたのとは異なるかすれが生まれ、どこか素朴で頼りない「味」が生じて、何とも魅力的だ。明確に分かれた複数の技法の領域をぼかし、融合させてみたことで、得られた収穫といえるだろう。
《考え込んで》1939,918 紙に水彩・色鉛筆・厚紙に貼りつけ、19.8×29.4㎝、個人蔵(スイス)パウル・クレー・センター(べルン)寄託
そのほかの3技法は、解説段階からすんなり頭に入りやすい。「切断・再構築」は一度仕上げた作品を切断し、その断片を反転させて組み合わせたり、ちょっと間隔をあけて組み合わせるというもの。(例:「E.附近の風景 バイエルンにて」)。
「切断・分離」では、切断した断片を別々の作品として独立させてしまう(例:「カイルアン 門のまえで」)。
「表裏の利用」では、一つの作品の裏面に別の作品を描き、作品の次元を二次元から三次元に広げたり、裏面の作品がいつか発見されるのを待つことで作品に時間的広がりを与える。(例:「考えこんで」)。
切ったり、表裏両面に描いたり…というと、「幼児がお絵かき遊びの際に偶発的に行う可能性もあるなあ」という気もする。実際、クレーは教育にとらわれていないこどもの絵画をひとつの範としていたそうだが、生涯、芸術の在り方を考えつづけたという彼を研究者ではなく芸術家たらしめたのは、この「こどものような発想」、そしてそれを具現化できる力だったのかもしれない。
この展示空間の出口付近にはもう一つ、クレーが自ら「模範作品」として手元に置き続けた、「特別クラス」の作品群が展示されている。この回顧展の「まとめ」でもあり、今回クローズアップされた4つ以外にも彼が様々な引き出しをもっていたことを示す、贅沢な「おまけ」でもある。
クレー自身は1940年に亡くなっているけれど、この展示を見ていると、まるで彼がまだ存命中で、企画者と「こういうのはどう?」とアイディアを出し合いながら作りあげた場のような感覚を抱く。クリエイティブ、かつ噛み応えのある展覧会である。