2011年8月30日火曜日

Today's Report [Theatre] モンティ・パイソンで六番目にいい人、エリック・アイドル来日(2011.8.29ミュージカル『モンティ・パイソンのスパマロット』製作発表記者会見/英国大使館)

 60年代末から70年代にかけて一世を風靡し、「コメディ界のビートルズ」と呼ばれた英国のお笑いグループ、モンティ・パイソン。
 彼らの映画代表作『モンティ・パイソン・アンド・ホーリーグレイル』(1973)に歌をつけ、脚本を書きなおして2004年、ミュージカル『スパマロット』として発表したエリック・アイドルが、このほど日本版の製作発表のため来日した。
会見に登壇したエリック・アイドル。今回が初来日だという。(c) Marino Matsushima

 大学ではアーサー王伝説の専門家である教授のゼミに籍を置いた筆者にとって、『…ホーリーグレイル』は教材として授業で観た、懐かしい作品だ。内容的にはアーサー王と騎士たちによる聖杯探求を徹底的にパロディ化した「おバカにもほどがある」作品なのだが、ケンブリッジ、オックスフォード卒のインテリたちが作っただけあって、題材であるアーサー王伝説をよく咀嚼している、と学会での評価も高い。(因みに、この作品の時代考証に活躍したメンバー、テリー・ジョーンズは今では中世学者としても認められ、先日もわが恩師訪英の際、情報交換をしたという。)…が、逆に言えばアーサー王に対する知識がベースにあるのとないのとでは、観客の「お楽しみ度」も随分変わってくる。義務教育でアーサー王が教えられない日本では、この作品は「マイナー」、もしくは「マニアック」に受容されていたが、そこに新たな可能性を加えたのがこの『スパマロット』だ。
 舞台は中世、英国の森…で始まるはずだが、このミュージカル、冒頭から「ある言葉の聞き違い」のため、まったく違う設定から始まる。衣裳も歌も、完璧にそのたった一言の勘違いのために作られていて、何とも贅沢なおバカ加減。以降、舞台ならではの賑々しさ、カラフルさのなか、「ミュージカルというもの」「ブロードウェイ」「フランス人」など、多岐にわたる新たな風刺トピックが盛り込まれ、アーサー王伝説についての知識がなくともそこそこ楽しめる。もはや「マニアック」さは払しょくされ、ブロードウェイではトニー賞作品賞を受賞。《王道作品》として認められるに至った。
 米英、ヨーロッパ各地、オセアニア、韓国公演を経て今回、実現する日本版は、現地からの引っ越し公演ではなく、放送作家の福田雄一が脚色・演出を担当し、ユースケ・サンタマリアらが出演する翻訳版。福田には日本版ならではの「脚色」がある程度委ねられているそうなので、面白さが伝わりにくいということは少なそうだ。
 さて、英国大使館で行われた記者会見。エリザベス女王の肖像画を半分打ち消すような、絶妙な高さ(?)に設置された壇上に現れたアイドルは、のっけから「モンティ・パイソンで六番目にナイスな人、エリック・アイドルです。(注・モンティ・パイソンのメンバーは6人である)。今日は日本の首相に選ばれる準備のため、来日しました(注・この日は民主党総裁選挙が行われた)」と笑わせた後、真顔で「大震災の後、このような作品を日本で上演していいものかという話を日本側のプロデューサーさんたちとしていたのですが、逆にこういう時だからこそ、やらなければということになりました。人生が困難にぶつかった時、何かを見失いそうな時、笑って、踊って、歌うことの大切さを思い出してほしい。悲劇を経験したからこそ、今、世界中がその認識を新たにすることができると思うのです」と熱弁。と思うとまたとぼけた口調に戻り、「ここ(英国大使館)には長くいられないので、皆さん、このことをすぐに理解してくださいね」。笑いで聴く人の心をつかみ、シリアスなメッセージを伝え、また笑いで締めくくる。ほんの数分だが、さすがにスピーチがうまい。
 出演者それぞれの挨拶を経て、質疑応答。様子を見ているとエリック・アイドルへの質問が出てこないので、それならば、と挙手してみる。
「キリスト教が背景の中世の物語ということもあって、日本ではアーサー王伝説はなじみのあるモチーフではありませんが、英国人であるアイドルさんにとっての、その魅力を教えて下さい」。
「日本と英国の中世史には、共通する部分があるように思います。ドイツオペラの『パルシファル』もそうですが、ナイトの爵位を与えられる、あるいは上の者に認められることで騎士(や武士)が抱く精神というものが、似通っていると思うのです…」。その後彼は映画『七人の侍』に自分の好きなタイプのおかしなキャラクターがいるなどと述べ、「だから日本の観客にもアーサー王伝説と言う素材は決してとっつきにくいものではないと思う」とまとめた。聞きたいのはそこではなく、彼にとってのアーサー王伝説の魅力、なのだけれど、もうマイクは回収されてしまったし、質疑応答も「これで終わり」。テリー・ジョーンズに負けず劣らずアーサー王に関する造詣の深さが感じられただけに心残りもあったが、お互い、生きていればまた取材の機会もあるだろう。その時じっくり、聞いてみることとしよう。
 日本版の関係者の話を聞く限りでは、脚色の福田こそモンティ・パイソンの20年来のファンだそうだが、ユースケ・サンタマリアはじめ、出演者たちはモンティ・パイソン自体、よく知らないとのこと。だがエリック・アイドルの印象を尋ねられ、ユースケは「匂い立つようなインテリジェンス!」と即答。そう、口を開かなければごく普通の(?)知的な英国紳士が、おバカなギャグを通して「人生の、一つの乗り切り方」を見せていたのが、モンティ・パイソンの笑いというものだったのだ。この日のアイドルのたたずまい、そして発言は、「モンティ・パイソンとは何か」を明瞭に教えてくれるものだった。
ユースケ・サンタマリア(前列中央)ら日本版「モンティ・パイソンのスパマロット」の出演者たち。口髭、金髪の鬘とメークにユースケは「俺ってわかります?」 (c) Marino Matsushima
2012年1月9日~22日赤坂・ACTシアター、2月2日~5日大阪・森の宮ピロティホール http://www.spamalot.jp/

2011年8月7日日曜日

Today's Report [Hotel] 「英国の美しい田舎」にふさわしい旅籠

2011.7.13 「ザ・ラム・イン」(英国バーフォード) The Lamb Inn, Burford, UK
子羊のサインが愛らしいザ・ラム・イン。一室1泊朝食込155ポンド~。
The Lamb Inn, Sheep Street, Burford. http://www.cotswold-inns-hotels.co.uk/property/the_lamb_inn/staying_with_us.htm
(c) Marino Matsushima
 ロンドンから北西へ、鉄道や車で1時間半。
 ストラットフォード・アポン・エイボン、バース、オックスフォードの3点を結んだ内側に、コッツウォルズという丘陵地帯がある。
 都会から至近でありながら、東京都ほどの大きさのこのエリアには、なだらかな緑の丘に森や小川、そしてコッツウォルズ・ストーンという蜂蜜色の石の家々が点在、「美しい田園風景」と呼ぶに足る風景が広がっている。古代から農業、そして中世には羊毛で栄え、今も当時の面影がそのまま残るスポットも多い。
既に日本人をはじめ、世界各地からこの地をめざして英国を訪れるツーリストも少なくないが、パッケージツアーでは大型バスの駐車場やトイレなどの事情から、バートン・オン・ザ・ウォーターなど特定のスポットばかり巡りがち。しかし現地の人々は、コッツウォルズの本当の魅力を知るにはぜひ、ウォーキングやサイクリングを楽しみながら、小さな村や町を一つ、また一つと訪れて欲しい、と口をそろえる。今回訪れた「ザ・ラム・イン」はそんな「のんびり型」旅行の拠点にも便利な、コッツウォルズ南側のゲートタウン、バーフォード(Burford)の老舗宿だ。

多くのコッツウォルズの「町」同様、バーフォードも中世に羊毛の取引で栄えたマーケット・タウンである。メインストリートである急な坂道を少し下り、「シープ・ストリート(羊通り)」で左に折れると、ほどなく右手に愛らしい仔羊のサインが現れ、風格のある外壁とこぢんまりとしたたたずまいが「旅籠(はたご)」と呼ぶのにふさわしい、「ザ・ラム・イン」へとたどり着く。もとは織物職人のコテージとして1420年に建てられ、1720年に宿屋となったという。
車を停めて中に入る。
どうやらメインでない扉を選んでしまったらしい。廊下が何方向かに分かれ、それぞれに内扉がある。増築を繰り返した古い宿にありがちな構造だと思いつつ、レセプションを探していると、背の高いウェイターが「迷いましたか?」と話しかけてきた。レセプションまで案内してくれた彼、長旅で疲れていると察して「夕ご飯はどうします?簡単なサンドイッチでも届けましょうか?」と心配してくれたレセプショニストと、スタッフの気さくさが第一印象として残る。
こぢんまりとしたダブルルーム、Tannery。宿の名入りのテディベアがお出迎え。
(c) Marino Matsushima
案内されたダブルルームには、ベビー連れであることを告げておいたため、ベビーベッドも置かれていた(木製のものではなく、金属支柱にメッシュ布を張り巡らした、「プレイヤード」タイプ)。スーツケース大小三つを運び込むとほとんど足の踏み場は無く、ビジネスホテルなら単純に「狭い」と感じるところだが、ここでは逆に「旅籠らしさ」のように感じられ、不快感はない。老舗宿といっても改装はここ10年以内らしく、インテリアはカントリーモダンにまとめられている。英国では時折見かけるが、ここでもベッドの上に宿の名(Lamb Inn)をつけたテディベアがいて、心和ませる(この子たちは気に入れば購入も可能、という仕組み。)。ホスピタリティ・トレイ(紅茶やコーヒーを自分で入れるコーナー)にはトワイニングのティーバッグ、コッツウォルズ銘柄のコーヒーやホットチョコレートがぎっしりと詰め込まれ、大ぶりのクッキーも添えられていて、マナーハウス・ホテル並みの豪華さ。見渡す限り清掃も行き届いていて、備品の並びもきっちりしているのが気持ちいい。 
ベッドルームの大きさからすると、バスルームにはシャワーのみで浴槽はないかしら、と思いながら扉を開けると、ベッドルームの半分以上の広さのある、たっぷりした浴槽付きのバスルームが現れた。ついてさえいれば、こちらの浴槽は英国人サイズでかなりの長さがあるため、日本人ならゆっくりと足を伸ばせ、有難い。アメニティは英国の一流ブランド、モルトン・ブラウン。かつてはある程度のクラスの宿ではアメニティはミニボトルで置かれていて、それを土産に持ち帰るのも旅の楽しみの一つだったが、最近では「エコ」的観点から大きなボトルを置き、ゲストが使った分だけ補充する傾向がある。ここもそのスタイルをとっていて、「お気に召したら大きなボトルは受付で購入可能です」とある。「Yuzu(ゆず)」とうたったシャワージェルが柔らかく、よい香りだ。
翌朝、かすかな小鳥のさえずりとともに目が覚める。バスルームの小窓をあけるとひんやりと澄んだ空気が流れ込み、英国に来たことを実感する。朝食の始まる7時半に家族で1階奥のダイニングへと降りてゆくと、先客が一名。ビジネスマンらしき男性が紅茶をすすっている。昨晩のウェイターがまた笑顔で歩み寄って来た。「お好きなテーブルへどうぞ。赤ちゃんのハイチェアー、お持ちしますね」。
テラスをのぞむ窓辺に美しくセットされたビュッフェ。
(c) Marino Matsushima
「一日三食、朝食でもいい」という説もあるほど、英国では朝食を重視し、宿でもそれぞれに趣向を凝らしているが、その実力のほどはビュッフェテーブルを見ればおおよそ察しがつく。好奇心いっぱいのベビーの手があちこちに伸びないよう気をつけて抱っこしながらここのビュッフェを覗くと、まずはそのプレゼンテーションの美しさに唸らされる。英国のおしゃれな食料品店には専属のスタイリストがいて野菜を小粋に並べたりするけれど、ここでもシリアルやジャム、ヨーグルトにフルーツなどが、陶磁器や籠などバラエティに富んだ容器で立体的に並べられている。深い紫、緑などシックな色合いの箱が目を引くドーセット・シリアルズは、パッケージありきで選ばれたのだろうか? パンやジャムなども設計図のとおりよろしく並んでいて、そこから自分の分を取ってしまうのが申し訳なく思える。
 …が、食欲に負けてあちこちから少しずつを取り、席につく。まずは絞りたてのオレンジジュース。新鮮さが体に染み渡る。ドライフルーツ入りのシリアル、チョコレート・デニッシュもいい味だ。蜂の巣をそのままきれいにカットした蜂蜜を贅沢につけ、イギリスらしい薄いトーストをいただく。
ウェイターが「温かいおかずもいかがですか?」というので、オムレツを注文。そう待たされることなく、大皿に盛られた、巨大なオムレツが運ばれてきた。卵3個分ほどだろうか。ナイフを入れると、マッシュルームやトマト、ハムなどがごろんごろん、大きな固まりで入っている。これに関してはプレゼンテーションは「美」というより「豪快」だが、口に入れると、トマトの酸味とジューシーな舌触りが他の具材ともあいまって、ほろほろと美味しい。適度な塩気があるので、ケチャップは不要だ。出て来たときには「巨大」と思われたが、ぺろりとたいらげ…そうになり、残り三分の一ほどで夫の燻製ニシンと交換する。こちらは大ぶりのニシンではあるが、オムレツよりは小さく、レモンを添えていたって上品なプレゼンテーション。味も癖のない、食べやすい燻製になっている。夫も、オムレツを「美味しい」と、あっという間に食べ終える。
 舌鼓を打っていると、30代半ばだろうか、ぱりっとしたワイシャツ姿の男性が近づいてきた。
「お味は大丈夫ですか?」
そんな。「大丈夫」どころではありませんよ。
「良かった。いえ、何かご不自由はないかと思って、ご滞在の皆さまにあいさつがてら、確認させていただいているんです。何かあれば、受付におりますからいつでも声をかけてくださいね」。
宿のマネージャーなのだろう。過度でもマニュアル通りでもない、自然な気遣いが爽やかだ。こういうボスがいてこそ、他のスタッフも感じのいい接客が出来るのだろう。英国では、建物は素晴らしいけれどスタッフの教育が今一つ、というところも時折あるが、ここはそういう宿ではないようだ。
 部屋に戻ると、ベビーベッドが心地良かったのか、ベビーはテディベアと一緒に早めのお昼寝。チェックアウト時間は11時と遅めなので、目覚めたベビーをゆっくりお風呂に入れる時間もあった。
11時ぎりぎりに荷物を持ってレセプションへ降りると、スタッフは出払っている。すぐに戻るだろうと大ぶりのソファに腰を掛けると、深々と体が沈み込んだ。館内全体がモダンに手入れされているなか、床だけは「昔の姿」を残していて、数百年の間に何千、何万…いや、恐らくはさらに多くの人々に踏みならされてきた石床が、窓から差し込む光を鈍く反射している。
レセプショニストがふらりと戻ってきた。鍵を返し、荷物と車を預けると、数軒先のインフォメーション・センターで地図をもらい、町の散策に出かける。
なだらかな丘陵地を見下ろすバーフォードの目抜き通り。
(c) Marino Matsushima
気を許すところころ転がって行ってしまいそうなので、ベビーカーのアームを握る手に力を込めつつ、ゆっくりと坂道を下る。左手には、1500年頃から商人たちの税務署、マーケット会場として使われた建物。今でも軒先はいろいろな用途に貸し出されているそうで、この日はアンティーク…と呼ぶには半端な使い古しのテーブルウェアや、古書、手作りアクセサリーの店が出ている。右手には、この町唯一だという赤レンガの家。ということは、他はすべてコッツウォルド・ストーンの建物ということか。
坂の下で右折すると、たちまち車や人の気配が失せ、静けさに包まれた。16世紀創立のグラマースクール、15世紀設立の救貧院のある小路の奥に、教会の高い尖塔。1160年から300年以上をかけて建てられたという聖ヨハネ教会だ。長年の風雨にさらされてきた外壁はところどころ剥げ落ち、黒ずんでもいるが、それがまた味わい深い。中に入ると、後方にモダンな多目的スペースが設けられ、日曜の子どもサークルで使われたらしい工作の道具がそのままになっていて、作品の写真が模造紙に誇らしげに貼られている。人口1000人の町では、こういう場が重要な役割をはたしているのだろう。近々、増築をするということで、コンテンポラリーな完成予想図パネルが置かれていた。再び外に出ると、教会をぐるりと囲む墓石の数々。19世紀のものが多く、27歳で亡くなった「…の第一夫人」、7歳で亡くなった「…の愛した子」など、夭折したらしい人々の墓が目につく。さわさわと風が吹き、墓石の前に植えられたラベンダーから夏の薫りが立ちのぼった。
坂道の反対側に渡り、今度はゆっくりと登ってゆく。途中、小さなスーパーを見かけて昼食用のパンやチョリソ、飲み物を購入。「ザ・ラム・イン」に戻って荷物をピックアップし、バーフォードに別れを告げた。次の目的地はここからほど近いという古代遺跡、ロールライト・ストーンサークルである。