2015年11月2日月曜日

Today’s Report [film]「伝統的世界」と「現代社会」の衝突から生まれる、若い女の悲劇『ガールズ・ハウス』(東京国際映画祭)

『ガールズ・ハウス』
文芸ものからミステリーまで、様々な作品が揃った今年の東京国際映画祭コンペティション部門。結果的には無冠に終わったがぜひ記憶にとどめたい作品が、イランのシャーラム・シャーホセイニ監督による『ガールズ・ハウス』だ。

映画は二人の女子大生が翌日の友人の結婚式に備え、いそいそと買い物をするシーンから始まる。ドキュメンタリーさながらの、友人同士、店員との他愛無いやり とり。買い物に夢中になり、暗くなってから寮に帰宅すると携帯電話が鳴り、結婚式の中止が伝えられる。“花嫁は死んだ”という、匿名のその声。衝撃を受けた二人が翌日彼女の家を尋ねると、父親は沈痛な面持ちで出迎えたが、明らかに何かを隠している。友人にはいったい何が起こったのか。二人は真実を知ろうとするのだが…。

一般的なハリウッド映画であれば、このまま彼女たちが主人公として、真相に迫ってゆく姿が軸となるだろう。しかし本作はここで画面を切り替え、悲しみに暮れる父親、彼が「娘を殺したのではないか」と疑う婚約者、花嫁、そしてその妹へと次々と「主人公」を変えながら、一つの真実に辿り着く。花嫁の死が決して単 純なものではなく、この国における女性のあり方を巡る異なる価値観、あるいは「伝統的世界」と「現代世界」の衝突から生まれた悲劇であることが判明したと き、観客は改めて本作の主人公が「物語に登場する全員」でなければならなかったことに納得が行き、“次なる犠牲者になりうる人物”が大写しされるラストが、苦い余韻をもって脳裏に焼き付くことになる。

監督も「この物語はまだ終わっていない」とコメントしている通り、本作が扱うのは簡単には答えの見つからない、デリケートなテーマだ。戦争のような人類規模の問題に比べれば、それは国際的な関心度という意味ではどうしても二の次になる。だからこそ映画という媒体を通して今、この問題を伝えていかなければ…。そんな監督や作り手たちの思いがこれ以上ないほどストレートに、重みを持って伝わってくる作品である。