2018年7月28日土曜日

Theatre Essay 観劇雑感「“超絶エンタテインメント”に終わらない、知的な一人芝居」(DDD青山クロスシアター『フリー・コミティッド』)


『フリー・コミティッド』撮影 神ノ川智早
とある地下室。雑然としたその空間はおよそお洒落さとは無縁だが、どうやらそこはNYのレストラン、それもスター・シェフを擁し、セレブが通う名店らしい。クリスマス間近ということも手伝って予約の電話は引きも切らず、予約係のサムは孤軍奮闘。二か月先まで“目いっぱい手一杯”だというのに、唐突に大勢を連れて行きたいというセレブの事務所からの電話や、トイレを掃除しろというシェフからの命令に、ぼやきながらも一つ一つ、必死に対応していく。実は彼の本業は俳優で、あるオーディションの最終選考に進めるかどうかずっと気になっているのだが、そちらのほうの連絡はさっぱり無い。いっぽうで役者仲間からはオーディションに通った旨の連絡があり、サムの心はへこみ始める。遂には“もう、やなことばっかりで”と泣きべそをかくに至るが、ふと、思わぬところにチャンスが転がっていたことに気づき……。

『フリー・コミティッド』撮影 神ノ川智早
サム役を演じる俳優が、電話やインターホンで連絡してくる人々(の声)も演じ分けるという「一人38役」が話題の本作。出演俳優にはそれらの役を演じ分ける卓越したテクニックが必要不可欠で、演出によっては疾走感の中でそれを見せ、感嘆を誘うことに終始しても充分、成立する演目だが、今回の千葉哲也演出・成河出演の公演はちょっと違う。確かに居丈高なクレーマーからいい加減な同僚、華やかな世界を調子よく泳いでいる風のお客や朴訥としたサムの父まで、成河は多彩なキャラクターを、瞬時に声色を変えながら演じ分けるが、その切り替わりは鮮やかというより滑らかで、常に「一人の役者が38役を兼ねるということの意味」を意識しているように見える。例えば、人々からの要望(もしくは命令)にひたすら応え、利用される側のサムがある瞬間に、自分もその立場を利用し得ることに気づき、不器用だが実直なキャラクターから“あちら側”に加わってゆくという構図が、全員を演じることでより際立つ、といった具合に。
『フリー・コミティッド』撮影 神ノ川智早
仕掛けや華々しさに頼らない、知的な一人芝居。小ぶりな空間ということもあって、カーテンコールでは物言わずして、演者と観客が格別の充実感を共有できる公演となっている。