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『花を棲みかに』より《まま母さん》水彩、墨・紙 1926年以前 ベルン美術館蔵(c)Prolitteris,Zurich 「スイスの絵本画家 クライドルフの世界」展は7月29日までBunkamuraザ・ミュージアムにて開催中。http://www.bunkamura.co.jp/ |
プレスプレビューでギャラリートークを行うクライドルフ財団のバルバラ・シュタルク理事。背後はこびとたちが白雪姫に会いにゆく物語を描いた『ふゆのはなし』(日本では福音館が限定復刊)の原画。ドイツでは今でもベストセラーだという。 |
エルンスト・クライドルフは1856年、スイスのベルンに生まれた。祖父の農場の跡を継ぐはずだったが絵の才能を見いだされ、リトグラフ職人に弟子入りし、ミュンヘン美術アカデミーで学ぶ。しかし体調を崩し、アルプスで療養中、大自然の美しさに改めて開眼。ある日、可憐なプリムラ(サクラソウ)を見かけてつい手折ってしまったクライドルフは、そのことを後悔しつつ、「この花の命を今、描きとめておこう」と筆をとる。これがきっかけとなり、最初の絵本『花のメルヘン』(1898年)へと発展してゆく。
野菜市場で試食をしまくるバッタ。よい子にはご褒美を、悪い子には罰を与えるアザミ。麦畑でのネズミと猫の追いかけっこに翻弄される昼顔や勿忘草…。『花のメルヘン』において、クライドルフは植物や昆虫を擬人化したが、現代、様々に商品化されている有名な動物キャラクターたちとは異なり、それぞれの動植物の生態や特徴に基づいた人格を与え、自然を尊重した。人間世界の小さな情景を、動植物の姿と自ら書き添えた詩を通して表現。1年の歳月をかけ、16枚の水彩画の原画を150枚ものリトグラフの石版に起こした渾身のデビュー作は、当時まだ「子供を従順にしつける」ことを目的に作られることの多かった絵本の世界では革命的と評され、クライドルフは一躍、絵本作家として名を馳せた。大判で行程に手間がかかるため、彼の作品は比較的高価で大ベストセラーになることはなかったそうだが、それでもこんにち、クライドルフの絵本はスイスでは『くまのぷーさん』や『みつばちマーヤ』と並んで、誰でも一度は読んだことがある絵本だという。日本ならさしずめ、『ぐりとぐら』的存在だろうか。
日本でも何冊かが翻訳出版されているが、その一冊『バッタさんのきせつ』の中に、「しあわせの女神」題されたページがある。幸運と不運を行き当たりばったりに配分するローマの女神、フォルトゥーナとそれを追う人間たちが、バッタの姿を借りて描かれている。それぞれに球体の上に乗っているが、「ひとびと」役のバッタは女神を追うことにかまけて球の上でバランスを崩しかけ、虹色の球の上に乗った女神役のバッタは気まぐれに彼らに振り向きながら遠ざかる。クライドルフならではのか細いラインが、人生の不安定さ、幸運の儚さというモチーフにぴたりと合い、余韻を残す。人生を俯瞰でとらえ、描き続けた彼らしい一ページである。
子どもに何かを強制するわけでも、迎合するわけでもなく、身近な自然モチーフを通して人間界のありようを描いた絵本は、スイスでは大人子どもを問わず愛されてきたという。プレスプレビューでギャラリートークを行ったクライドルフ財団のシュタルク理事は「大人になってから見返してみると、単に美しいというばかりでなく、様々な発見がある。そこが(彼の作品の)魅力なのです」と語っていた。我が家の2歳の娘にも、こういう絵本と出会って欲しいと思いながら展示室を出ると、ミュージアムショップに原書が数冊、置かれていた。せっかくだから1冊、買って行こうかと思いながら手に取ってみると、値札に7000円近い価格が記されている。我が家では絵本はすぐぼろぼろになってしまうことを考えると、残念だがまだ時期尚早のようだ。一緒に、ゆっくり絵柄と言葉を楽しめるようになるまで、あと何年だろう。そんなことを思いながら、手にした絵本をそっともとの場所に戻した。