2014年6月16日月曜日

Theatre Essay 観劇雑感 「昭和初期の“婚活”を巡る優美な物語」(2014.6.1明治座『細雪』)


明治座で『細雪』を観た後に(学生時代に読んだような気がしていた)谷崎潤一郎の原作本を改めて手にしたところ、これが滅法面白い。

『細雪』2014年6月27日まで上演。写真提供:明治座

物語は昭和15年前後、大阪船場の旧家、蒔岡家の4姉妹の日々を、主に次女・幸子の視点を通して描く。かつては蒔岡商店と言えば船場では有数の名家だったが、今は亡き父の放縦な商売が祟って会社は破綻。長女の鶴子と幸子は既に結婚して子供もあるが、三女の雪子は美しい顔立ちにも関わらず30を過ぎて縁遠く、四女の妙子は奔放でしばしば恋愛事件を起こしている。

おちぶれた旧家、とはいってもいまだに姉妹は「古き良き日々」の記憶を抱え、手紙と言えば巻紙に筆でさらさらと書き、思いつきで一家で俳句の寄せ書きをし、六代目菊五郎も神戸での洋画鑑賞も好む。また春には京都への花見を欠かさないという、どこか風雅な日常を送る人々である。だが家柄にとらわれるあまり、雪子に来る見合い話は「格が合わぬ」と片端から断っていたため、いつしかかかる声もなくなり、雪子は34にもなってしまった。(今ならなんということもないが、谷崎の時代には気の毒に聞こえる年齢だったかもしれない)。雪子は内気で自分から伴侶を探すタイプでもないので、今や幸子はたまに縁談があると相手の評判を方々に手を尽くして調べ、見合いに同席して場を盛り上げ、紹介者にも心を尽くすのだが、いい相手だと思っていたら思いがけない「ワケアリ」であることが分かったり、幸子の夫も奔走して十中八九まとまりかけていた話が、ちょっとしたことで崩れてしまったり。なかなかまとまらず、読んでいるほうもはらはらのし通しである。 

物語には既に開戦しているヨーロッパの戦況も差し挟まれ、周囲でも「出征」だとか不穏な話題が聞こえるが、そんな中でも妹たちの幸せを思い、状況に一喜一憂する幸子のこまやかな心理描写がリアルで、共感を呼ぶ。文学史上では、4姉妹の生活を通して、滅び行く文化の美を描いた小説と位置付けられているようだが、筆者にとっては、自分の祖母よりも前の世代の人たちもこんな風に「婚活」を頑張っていたのかしら、と不思議な親しみや懐かしさを覚える小説だった。

『細雪』写真提供:明治座
本作を読んで芝居版の『細雪』を思い返すと、こちらはこちらでいかによくできた戯曲であるかと唸らされる。(脚本=菊田一夫、潤色=堀越真、演出=水谷幹夫)。原作は上中下の3巻本なので物語の刈込は必定なのだが、ただ単にダイジェスト版とするのではなく、劇場で初めて物語に触れる観客も入り込みやすいよう、骨格は不変のまま、大胆な変更、順序の入れ替えが起こっているのだ。

例えば原作では長女の鶴子は早々に東京へ移住してしまい、登場回数がめっきり減ってしまうが、芝居版では彼女も均等に活躍させるため、東京への移住は最後の出来事とし、姉妹のうち最も「家柄」にこだわる存在としてしばしば幸子と対立する。また原作の妙子は恋愛主義が高じてだんだん暴走のていを見せてゆくが、芝居版ではは彼女にも一貫して感情移入できるよう、最初に付き合っていた貴金属店の三男坊、「啓ぼん」の欠点を誇張し、原作では「もしかしたら計算高かったかもしれない」次の男、板倉を一途な青年と設定し、妙子との純愛悲劇を成立させている。言葉数が少なくつかみどころのない雪子については、原作で姉妹に共通する口癖として登場していた「ふうん」を彼女のものとし、これにまつわるちょっとしたシーンを加えることで、人物像を浮き彫りに。また鶴子や幸子の夫たちの情味をより増すことで、二組の夫婦愛を鮮明なものにし、特に女性の観客がほっと出来るよう工夫されたりもしている。 

今回の舞台では四姉妹を演じる高橋恵子、賀来千香子、水野真紀、大和悠河がいずれも優雅な中に各々のキャラクターを明確に打ち出し、太川陽介が人間臭く、どこか憎めない啓ぼん役を面白く演じている。最後に現れる満開の桜は実は原作のラストには登場しないが、「作品の心」としてこれ以上のものはない演出、と言えるかもしれない。

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