2015年1月7日水曜日

Theatre Essay 観劇雑感「母子の愛を巡る葛藤劇」(2015.1.2 明治座『春日局』)

 
春日局』(2015年1月2日~23日・明治座)写真提供:明治座
年末から年始にかけ、2本の芝居で同じ役者を観た。アメリカの現代劇『スワン』(紀伊國屋ホール、14年12月23日の千秋楽公演)と時代劇『春日局』(明治座、15年1月2日の初日公演)に主演していた、一路真輝だ。(後者では座長ではないものの、物語の中心となる二人の母のうちの一人の役なので、実質的にはW主役)。古典の演目が多い歌舞伎であれば稽古は三日ということもよくあるが、それ以外のジャンルで10日にも満たないインターバルというのは珍しい。どちらも尋常でない台詞量と動きを細やかに身体に沁みこませ、『春日局』では初日から、高貴な中にもしみじみとした情感さえ漂わせていた一路に、まずは感嘆させられる。

今回の舞台は、橋田壽賀子が89年のNHK大河ドラマで手掛けた『春日局』の舞台版。戦乱の時代をようやく生き延び、それぞれに辛酸をなめてきた「ふく(高島礼子)」と「江与(一路真輝)」が、かたや将軍の嫡男竹千代(=徳川家光)の乳母(後の春日局)、かたや自分の手で彼を育てることを禁じられた生母として葛藤し、年月を経て和解してゆく様を描く。“ふくVS江与”のドラマはこれまでにも何度も小説や映像、演劇で取り上げられてきたが、本作でのそれは対等な“女二人のバトル”ではなく、ふくはあくまでも使用人で弱い立場。そんな彼女が家康からの「天下の和平を保てる人材を育てて欲しい」との言葉を支えに、誠心誠意、竹千代に尽くすことで状況が変わってゆく様を見せる。高島礼子がこのふく役をけなげに、つつましく演じ、そのきれいな所作もあいまって好感を抱かずにはいられない。いっぽう男優陣では家光役の金子昇が力強く、口跡明瞭。遊女に恋する場面での“若さゆえの向こう見ず”な風情もいい。
『春日局』写真提供:明治座
3時間超の芝居で浮かんでくるポイントの一つが、江与とふくの不毛な対立の元凶ともいえる、男たちの“言葉足らず”だ。江与は嫡男である竹千代を自ら育てることを禁じられるが、その理由について夫・秀忠は「(父である)家康がそう定めたから」と、納得のゆく説明をしない。家康ほどの立場にもなれば一つ一つの決め事に説明は不要だったのかもしれないが、母親の側からすれば無条件に受け入れられる話ではなく、乳母となったふくへの憎悪が生まれるのも致し方ないように見える。

さらに後年、江与が自らの手で育てた次男の国千代が優秀な子に育ち、この子こそが世継ぎになるのではという噂が広まると、家康は隠居先から上京し、「あくまで竹千代が跡継ぎ」と宣言して再び江与を打ちのめす。

その理由として家康は「戦国の世なら家のためには優秀な世継ぎが必要だったが、平和な世となったからには“秩序”が第一」と語るのだが、国千代誕生の頃にこの話がなされていれば、江与も次男に過度な期待はしなかっただろう。こんな経緯が家族にわだかまりを残さぬはずもなく、江与とふくの“母”世代は和解に至るものの、子への影響は深刻だった。史実ではこの後、国千代長じて忠長は行動に問題ありとされ、兄の命によって自刃させられてしまうのだ。(劇中では描かれないが、秀忠が「国のためなら国千代を処分することも厭うな」と家光に言い置く台詞でそれを匂わせる)。家族の間であっても、いや家族だからこそ、言葉を尽くして理屈を通しておかねば遺恨が生じ、それは思いがけない悲劇を引き起こしかねない。それは時代、身分を問わずどの血縁関係にも該当するものなのだろう。家族のかかわりを描き続けてきた橋田ならではの、本作は示唆に富むドラマでもある。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿