2011.7.13 「ザ・ラム・イン」(英国バーフォード) The Lamb Inn, Burford, UK
子羊のサインが愛らしいザ・ラム・イン。一室1泊朝食込155ポンド~。 The Lamb Inn, Sheep Street, Burford. http://www.cotswold-inns-hotels.co.uk/property/the_lamb_inn/staying_with_us.htm (c) Marino Matsushima |
ロンドンから北西へ、鉄道や車で1時間半。
ストラットフォード・アポン・エイボン、バース、オックスフォードの3点を結んだ内側に、コッツウォルズという丘陵地帯がある。
都会から至近でありながら、東京都ほどの大きさのこのエリアには、なだらかな緑の丘に森や小川、そしてコッツウォルズ・ストーンという蜂蜜色の石の家々が点在、「美しい田園風景」と呼ぶに足る風景が広がっている。古代から農業、そして中世には羊毛で栄え、今も当時の面影がそのまま残るスポットも多い。
既に日本人をはじめ、世界各地からこの地をめざして英国を訪れるツーリストも少なくないが、パッケージツアーでは大型バスの駐車場やトイレなどの事情から、バートン・オン・ザ・ウォーターなど特定のスポットばかり巡りがち。しかし現地の人々は、コッツウォルズの本当の魅力を知るにはぜひ、ウォーキングやサイクリングを楽しみながら、小さな村や町を一つ、また一つと訪れて欲しい、と口をそろえる。今回訪れた「ザ・ラム・イン」はそんな「のんびり型」旅行の拠点にも便利な、コッツウォルズ南側のゲートタウン、バーフォード(Burford)の老舗宿だ。
多くのコッツウォルズの「町」同様、バーフォードも中世に羊毛の取引で栄えたマーケット・タウンである。メインストリートである急な坂道を少し下り、「シープ・ストリート(羊通り)」で左に折れると、ほどなく右手に愛らしい仔羊のサインが現れ、風格のある外壁とこぢんまりとしたたたずまいが「旅籠(はたご)」と呼ぶのにふさわしい、「ザ・ラム・イン」へとたどり着く。もとは織物職人のコテージとして1420年に建てられ、1720年に宿屋となったという。
車を停めて中に入る。
どうやらメインでない扉を選んでしまったらしい。廊下が何方向かに分かれ、それぞれに内扉がある。増築を繰り返した古い宿にありがちな構造だと思いつつ、レセプションを探していると、背の高いウェイターが「迷いましたか?」と話しかけてきた。レセプションまで案内してくれた彼、長旅で疲れていると察して「夕ご飯はどうします?簡単なサンドイッチでも届けましょうか?」と心配してくれたレセプショニストと、スタッフの気さくさが第一印象として残る。
こぢんまりとしたダブルルーム、Tannery。宿の名入りのテディベアがお出迎え。 (c) Marino Matsushima |
案内されたダブルルームには、ベビー連れであることを告げておいたため、ベビーベッドも置かれていた(木製のものではなく、金属支柱にメッシュ布を張り巡らした、「プレイヤード」タイプ)。スーツケース大小三つを運び込むとほとんど足の踏み場は無く、ビジネスホテルなら単純に「狭い」と感じるところだが、ここでは逆に「旅籠らしさ」のように感じられ、不快感はない。老舗宿といっても改装はここ10年以内らしく、インテリアはカントリーモダンにまとめられている。英国では時折見かけるが、ここでもベッドの上に宿の名(Lamb Inn)をつけたテディベアがいて、心和ませる(この子たちは気に入れば購入も可能、という仕組み。)。ホスピタリティ・トレイ(紅茶やコーヒーを自分で入れるコーナー)にはトワイニングのティーバッグ、コッツウォルズ銘柄のコーヒーやホットチョコレートがぎっしりと詰め込まれ、大ぶりのクッキーも添えられていて、マナーハウス・ホテル並みの豪華さ。見渡す限り清掃も行き届いていて、備品の並びもきっちりしているのが気持ちいい。
ベッドルームの大きさからすると、バスルームにはシャワーのみで浴槽はないかしら、と思いながら扉を開けると、ベッドルームの半分以上の広さのある、たっぷりした浴槽付きのバスルームが現れた。ついてさえいれば、こちらの浴槽は英国人サイズでかなりの長さがあるため、日本人ならゆっくりと足を伸ばせ、有難い。アメニティは英国の一流ブランド、モルトン・ブラウン。かつてはある程度のクラスの宿ではアメニティはミニボトルで置かれていて、それを土産に持ち帰るのも旅の楽しみの一つだったが、最近では「エコ」的観点から大きなボトルを置き、ゲストが使った分だけ補充する傾向がある。ここもそのスタイルをとっていて、「お気に召したら大きなボトルは受付で購入可能です」とある。「Yuzu(ゆず)」とうたったシャワージェルが柔らかく、よい香りだ。
翌朝、かすかな小鳥のさえずりとともに目が覚める。バスルームの小窓をあけるとひんやりと澄んだ空気が流れ込み、英国に来たことを実感する。朝食の始まる7時半に家族で1階奥のダイニングへと降りてゆくと、先客が一名。ビジネスマンらしき男性が紅茶をすすっている。昨晩のウェイターがまた笑顔で歩み寄って来た。「お好きなテーブルへどうぞ。赤ちゃんのハイチェアー、お持ちしますね」。
テラスをのぞむ窓辺に美しくセットされたビュッフェ。 (c) Marino Matsushima |
「一日三食、朝食でもいい」という説もあるほど、英国では朝食を重視し、宿でもそれぞれに趣向を凝らしているが、その実力のほどはビュッフェテーブルを見ればおおよそ察しがつく。好奇心いっぱいのベビーの手があちこちに伸びないよう気をつけて抱っこしながらここのビュッフェを覗くと、まずはそのプレゼンテーションの美しさに唸らされる。英国のおしゃれな食料品店には専属のスタイリストがいて野菜を小粋に並べたりするけれど、ここでもシリアルやジャム、ヨーグルトにフルーツなどが、陶磁器や籠などバラエティに富んだ容器で立体的に並べられている。深い紫、緑などシックな色合いの箱が目を引くドーセット・シリアルズは、パッケージありきで選ばれたのだろうか? パンやジャムなども設計図のとおりよろしく並んでいて、そこから自分の分を取ってしまうのが申し訳なく思える。
…が、食欲に負けてあちこちから少しずつを取り、席につく。まずは絞りたてのオレンジジュース。新鮮さが体に染み渡る。ドライフルーツ入りのシリアル、チョコレート・デニッシュもいい味だ。蜂の巣をそのままきれいにカットした蜂蜜を贅沢につけ、イギリスらしい薄いトーストをいただく。
ウェイターが「温かいおかずもいかがですか?」というので、オムレツを注文。そう待たされることなく、大皿に盛られた、巨大なオムレツが運ばれてきた。卵3個分ほどだろうか。ナイフを入れると、マッシュルームやトマト、ハムなどがごろんごろん、大きな固まりで入っている。これに関してはプレゼンテーションは「美」というより「豪快」だが、口に入れると、トマトの酸味とジューシーな舌触りが他の具材ともあいまって、ほろほろと美味しい。適度な塩気があるので、ケチャップは不要だ。出て来たときには「巨大」と思われたが、ぺろりとたいらげ…そうになり、残り三分の一ほどで夫の燻製ニシンと交換する。こちらは大ぶりのニシンではあるが、オムレツよりは小さく、レモンを添えていたって上品なプレゼンテーション。味も癖のない、食べやすい燻製になっている。夫も、オムレツを「美味しい」と、あっという間に食べ終える。
舌鼓を打っていると、30代半ばだろうか、ぱりっとしたワイシャツ姿の男性が近づいてきた。
「お味は大丈夫ですか?」
そんな。「大丈夫」どころではありませんよ。
「良かった。いえ、何かご不自由はないかと思って、ご滞在の皆さまにあいさつがてら、確認させていただいているんです。何かあれば、受付におりますからいつでも声をかけてくださいね」。
宿のマネージャーなのだろう。過度でもマニュアル通りでもない、自然な気遣いが爽やかだ。こういうボスがいてこそ、他のスタッフも感じのいい接客が出来るのだろう。英国では、建物は素晴らしいけれどスタッフの教育が今一つ、というところも時折あるが、ここはそういう宿ではないようだ。
部屋に戻ると、ベビーベッドが心地良かったのか、ベビーはテディベアと一緒に早めのお昼寝。チェックアウト時間は11時と遅めなので、目覚めたベビーをゆっくりお風呂に入れる時間もあった。
11時ぎりぎりに荷物を持ってレセプションへ降りると、スタッフは出払っている。すぐに戻るだろうと大ぶりのソファに腰を掛けると、深々と体が沈み込んだ。館内全体がモダンに手入れされているなか、床だけは「昔の姿」を残していて、数百年の間に何千、何万…いや、恐らくはさらに多くの人々に踏みならされてきた石床が、窓から差し込む光を鈍く反射している。
レセプショニストがふらりと戻ってきた。鍵を返し、荷物と車を預けると、数軒先のインフォメーション・センターで地図をもらい、町の散策に出かける。
なだらかな丘陵地を見下ろすバーフォードの目抜き通り。 (c) Marino Matsushima |
気を許すところころ転がって行ってしまいそうなので、ベビーカーのアームを握る手に力を込めつつ、ゆっくりと坂道を下る。左手には、1500年頃から商人たちの税務署、マーケット会場として使われた建物。今でも軒先はいろいろな用途に貸し出されているそうで、この日はアンティーク…と呼ぶには半端な使い古しのテーブルウェアや、古書、手作りアクセサリーの店が出ている。右手には、この町唯一だという赤レンガの家。ということは、他はすべてコッツウォルド・ストーンの建物ということか。
坂の下で右折すると、たちまち車や人の気配が失せ、静けさに包まれた。16世紀創立のグラマースクール、15世紀設立の救貧院のある小路の奥に、教会の高い尖塔。1160年から300年以上をかけて建てられたという聖ヨハネ教会だ。長年の風雨にさらされてきた外壁はところどころ剥げ落ち、黒ずんでもいるが、それがまた味わい深い。中に入ると、後方にモダンな多目的スペースが設けられ、日曜の子どもサークルで使われたらしい工作の道具がそのままになっていて、作品の写真が模造紙に誇らしげに貼られている。人口1000人の町では、こういう場が重要な役割をはたしているのだろう。近々、増築をするということで、コンテンポラリーな完成予想図パネルが置かれていた。再び外に出ると、教会をぐるりと囲む墓石の数々。19世紀のものが多く、27歳で亡くなった「…の第一夫人」、7歳で亡くなった「…の愛した子」など、夭折したらしい人々の墓が目につく。さわさわと風が吹き、墓石の前に植えられたラベンダーから夏の薫りが立ちのぼった。
坂道の反対側に渡り、今度はゆっくりと登ってゆく。途中、小さなスーパーを見かけて昼食用のパンやチョリソ、飲み物を購入。「ザ・ラム・イン」に戻って荷物をピックアップし、バーフォードに別れを告げた。次の目的地はここからほど近いという古代遺跡、ロールライト・ストーンサークルである。
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