1001 Grams/ Ane Dahl Torp BulBul Film/ Pandora Filmproduktions/ Slot Machine Photographer John Christian Rosenlund (C) |
24日の審査員記者会見でバングラデシュ・プレスの記者も引用していたが、今年のコンペ部門選出作品の共通テーマは「追い詰められた人々」なのだそうだ。ノルウェーを代表する監督ベント・ハーメルによる本作はしかし、およそそういう空気とは無縁にスタートする。ヒロインのマリエは国立測量研究所に勤務し、日々様々な測量研究や検査を淡々と行っている。その均一な足取りやまっすぐな立ち姿からは、彼女の規則正しい生活や研究員としての優秀さがうかがえるが、どうやら彼女は離婚直後であるらしい。寡黙な人物設定に加えて映画としても説明台詞をそぎ落とした作りのため、彼女の心のうちは語られないが、研究所や一人で住む一軒家の大きさは、画面に冷え冷えとした寂寞感を与えている。
そんな折、やはり研究者である父が倒れ、マリエは彼の代わりにパリでの標準器会議に出席することになる。1000グラム、つまり1キロの重さを示す「原器」は世界各国で一器ずつ保管されていて、この会議の折にパリで検査を受けるのだという。ガラスを含め何重にもなった厳重なケースに入れられた1000グラムの原器を持って、マリエはパリへと向かう。会議では1879年に定義された「キログラム」の新定義を巡る発表があったり、20年ぶりに金庫から出された昔の原器を皆で注意深く見学したりと、多くの観客にとって“知られざる”ものであろう世界が描かれる。
このまま映画は科学世界に光を当てて行くのかと思いきや、突然小さな事件が起こる。帰国したマリエが前夫を見かけて動転し、深夜に車を走らせて事故を起こしてしまうのだ。大破した車からはあろうことかノルウェー国の「原器」が放り出され、もちろん、ケースの中のガラスカバーは割れている。どうしたものか…。無口なままのマリエだが、その目の下のクマからは焦燥がありありと見て取れる。ケースの修理のため、何はともあれ再びパリに飛ぶマリエ。その日はあいにくの休日で研究所は閉まっていたが、「捨てる神あれば拾う神あり」。いくつかの偶然を経て彼女はささやかな幸せを得ることになる……。
科学(物理学)の世界を描いた本作には多くの数字や無機質な空間が多出するが、生前の父が発する台詞やラストの数分間の会話を聞けば、測量も実は人間の「主観」から生まれたものであり、映画自体、科学を入口として「人間」を考察する試みであることがわかる。人は様々に生きているようでいて、同じように孤独を噛みしめ、誰かと心を通わせることで希望を得てゆく。そんな普遍的な「人間」の姿を静かに、そして最後にちょっとしたユーモアを交えて描いてみせる本作。実に巧い作りだし、堂々としながらも寂しさを湛えたヒロイン役アーネ・ダールトルフ、登場の度にどんどんいい男に見えてくるフランスの元研究員役ロラン・ストッケルの演技にも引き付けられる。30日にもTOHOシネマズ日本橋会場で上映の予定だ。
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