2014年10月22日水曜日

Today's Report FILM 明日開幕の「東京国際映画祭」、今年は「子連れ」に嬉しいプログラム



明日、第27回東京国際映画祭が開幕。オープニングが近づくと連日、プレス登録者にはイベントや直前スケジュールのリリース・メールが届く。「今年も、もうすぐか」と、毎年のこのリリース群は深まる秋の風物詩のよう。それらを見ていると、今年は開催内容に一つの傾向が見て取れる。「ファミリー層へのアピール」だ。

*アニメ作品の存在感
映画祭のかなめである上映プログラムにおいて、今年は庵野秀明特集が組まれることもあってか、彼の16作品(うち実写作品もあり。テレビ用作品を組み合わせての上映もあるため、実際の本数はさらに多い)を中心に、『ベイマックス』『くるみ割り人形』等、アニメーション作品の存在感が近年の映画祭より増している。(『ピーターラビット』等幼児向け作品を集めた「みなと上映会」も行われる)。ファミリー層にとって、「子供も大人も楽しめる」作品の有無は映画祭への参加を決める上での最重要ポイント。今回は「映画好き」のみならず、より多様な層が参加しやすい映画祭となっていると言えるだろう。

*「食」の充実
ファミリーでの外出においては、「食」もまた大きなポイントだ。「弁当持込み」という選択肢もあるが、「食」そのものもまた外出の目的となれば、その日の「エンタテインメント性」はさらに高まり、また親にとっては手間も省ける。

今回の映画祭では24日(金)から31日まで(11時から20時半ラストオーダー。25日は15時閉店、最終日は19時終了)「東京映画食堂」と題して、六本木ヒルズアリーナにて片岡護、金坂真次、須賀洋介、松久信幸、脇屋友詞という5人の有名シェフが、それぞれにキッチンカー、ドリンクバーを設置。各シェフのオリジナルメニュー(オードブル、メイン、デザートなど3~4種)を提供するという。各シェフの名声は知っていてもなかなか店を訪れる機会のなかった人々にとっては、そのテイストが子連れでも楽しめる恰好のチャンスだ。

個人的には以前、機内食で好感を抱いたNOBU(松久信幸氏)の「カジュアル食」を体験してみたいと思っている。(子連れで行くとほとんど子供に食べられてしまいそうだけれど……)。

2014年10月7日火曜日

Theatre Essay観劇雑感「人間界を奇妙な“はざま”から眺める『生きると生きないのあいだ』」2014.10.3吉祥寺シアター


2014.9.27-10.5 吉祥寺シアター
ティーファクトリー+(公財)武蔵野文化事業団提携公演
『生きると生きないのあいだ』
作・演出 川村毅
撮影 宮内勝
「刺さる台詞」という言葉を最初に聞いたのは、ずいぶん以前、野田秀樹へのインタビューだった。「いかに刺さる台詞を書けるかだよね」。刺さる、というのはもちろん観る側の「胸に」、だ。舞台で放たれた台詞が観客の胸に深く刺さった(と見える)時、芝居の作り手は「よし」、と手ごたえを感じるものなのかもしれない。 

…ということを久々に感じたのがティーファクトリーの『生きると生きないのあいだ』。川村毅が、黒澤映画『生きる』とダンカン監督映画『生きない』に触発されて書き、演出した作品だ。「便利屋ハリー」という謎めいた便利屋を舞台に、そこを一人で切り盛りしているハリー(柄本明)と、ある目的をもってそこに居つく青年ジョニー(川口覚)。二人がかかわるヤクザ、老人、男、女らはもう死んでいたり、余命いくばくもなかったり、死にたいと思っていたりと、表題の「生きると生きない」の間あたりをたゆたっている。この人々とハリー、ジョニーたちとの語らいが、弱く強く、「刺して」来るのだ。「人はなぜ働くのか?」「かなしいからです」、(「どうせ死ぬなら助けなんて必要ない」に対して)「100年後には(ここにいる人たちは)皆死んでる、同時代に生きてるってことは同時代に死ぬってことだ。その事実に耐えられるか?」、「あたしには人と共有した時間がなかった、だからあたしには人生が無かった」……。人間や人生をあちらこちらから眺め、切り取ってみせる台詞にはどこか生々しい余韻があり、作者の実体験から得られたものだろうかと想像が膨らむ。
 
2014.9.27-10.5 吉祥寺シアター
ティーファクトリー+(公財)武蔵野文化事業団提携公演
『生きると生きないのあいだ』
作・演出 川村毅
撮影 宮内勝
すべてを悟って生きていたかのようなハリーもまた、過去の恨みを晴らすべく、復讐相手を道連れに電車の前に身を投げる。が、そこに死体は残らない。さては彼までも、もともと「あちら側」の人間だったのだろうか。とり残されたジョニーは便利屋を引き継ぎ、この世には「そんなに悪人はいないと信じたい」と言いながら、人助け稼業に奔走する。誰もいないオフィス。映し出される人々の顔。装置がショートしたのか?煙とともに映像が途切れて芝居は終わるが、場内には人間肯定の空気が満ちる。終盤に叫ばれる「人類に言っておきたい…。奢るな、諦めるな」という台詞は清々しくもある。 

出演者はそれぞれに味があるが、淡々と芝居を運びながら、「折れ」の瞬間にキレの良い芝居を差し挟む柄本明、罪を犯して自死した男サムの亡霊を、ゾンビ的?な身体表現も駆使して演じる笠木誠に、特に目が吸い寄せられる。映像のみの出演の手塚とおるも「人に喜ばれる仕事をしたほんとうの理由」を面白く聞かせ、自分勝手な一人語りの最後に、ふいに「刺して」来る。「わかってたよ、お前は俺だ、ブラザー」。

2014年6月16日月曜日

Theatre Essay 観劇雑感 「昭和初期の“婚活”を巡る優美な物語」(2014.6.1明治座『細雪』)


明治座で『細雪』を観た後に(学生時代に読んだような気がしていた)谷崎潤一郎の原作本を改めて手にしたところ、これが滅法面白い。

『細雪』2014年6月27日まで上演。写真提供:明治座

物語は昭和15年前後、大阪船場の旧家、蒔岡家の4姉妹の日々を、主に次女・幸子の視点を通して描く。かつては蒔岡商店と言えば船場では有数の名家だったが、今は亡き父の放縦な商売が祟って会社は破綻。長女の鶴子と幸子は既に結婚して子供もあるが、三女の雪子は美しい顔立ちにも関わらず30を過ぎて縁遠く、四女の妙子は奔放でしばしば恋愛事件を起こしている。

おちぶれた旧家、とはいってもいまだに姉妹は「古き良き日々」の記憶を抱え、手紙と言えば巻紙に筆でさらさらと書き、思いつきで一家で俳句の寄せ書きをし、六代目菊五郎も神戸での洋画鑑賞も好む。また春には京都への花見を欠かさないという、どこか風雅な日常を送る人々である。だが家柄にとらわれるあまり、雪子に来る見合い話は「格が合わぬ」と片端から断っていたため、いつしかかかる声もなくなり、雪子は34にもなってしまった。(今ならなんということもないが、谷崎の時代には気の毒に聞こえる年齢だったかもしれない)。雪子は内気で自分から伴侶を探すタイプでもないので、今や幸子はたまに縁談があると相手の評判を方々に手を尽くして調べ、見合いに同席して場を盛り上げ、紹介者にも心を尽くすのだが、いい相手だと思っていたら思いがけない「ワケアリ」であることが分かったり、幸子の夫も奔走して十中八九まとまりかけていた話が、ちょっとしたことで崩れてしまったり。なかなかまとまらず、読んでいるほうもはらはらのし通しである。 

物語には既に開戦しているヨーロッパの戦況も差し挟まれ、周囲でも「出征」だとか不穏な話題が聞こえるが、そんな中でも妹たちの幸せを思い、状況に一喜一憂する幸子のこまやかな心理描写がリアルで、共感を呼ぶ。文学史上では、4姉妹の生活を通して、滅び行く文化の美を描いた小説と位置付けられているようだが、筆者にとっては、自分の祖母よりも前の世代の人たちもこんな風に「婚活」を頑張っていたのかしら、と不思議な親しみや懐かしさを覚える小説だった。

『細雪』写真提供:明治座
本作を読んで芝居版の『細雪』を思い返すと、こちらはこちらでいかによくできた戯曲であるかと唸らされる。(脚本=菊田一夫、潤色=堀越真、演出=水谷幹夫)。原作は上中下の3巻本なので物語の刈込は必定なのだが、ただ単にダイジェスト版とするのではなく、劇場で初めて物語に触れる観客も入り込みやすいよう、骨格は不変のまま、大胆な変更、順序の入れ替えが起こっているのだ。

例えば原作では長女の鶴子は早々に東京へ移住してしまい、登場回数がめっきり減ってしまうが、芝居版では彼女も均等に活躍させるため、東京への移住は最後の出来事とし、姉妹のうち最も「家柄」にこだわる存在としてしばしば幸子と対立する。また原作の妙子は恋愛主義が高じてだんだん暴走のていを見せてゆくが、芝居版ではは彼女にも一貫して感情移入できるよう、最初に付き合っていた貴金属店の三男坊、「啓ぼん」の欠点を誇張し、原作では「もしかしたら計算高かったかもしれない」次の男、板倉を一途な青年と設定し、妙子との純愛悲劇を成立させている。言葉数が少なくつかみどころのない雪子については、原作で姉妹に共通する口癖として登場していた「ふうん」を彼女のものとし、これにまつわるちょっとしたシーンを加えることで、人物像を浮き彫りに。また鶴子や幸子の夫たちの情味をより増すことで、二組の夫婦愛を鮮明なものにし、特に女性の観客がほっと出来るよう工夫されたりもしている。 

今回の舞台では四姉妹を演じる高橋恵子、賀来千香子、水野真紀、大和悠河がいずれも優雅な中に各々のキャラクターを明確に打ち出し、太川陽介が人間臭く、どこか憎めない啓ぼん役を面白く演じている。最後に現れる満開の桜は実は原作のラストには登場しないが、「作品の心」としてこれ以上のものはない演出、と言えるかもしれない。

2014年5月3日土曜日

Theatre Essay 観劇雑感 染五郎が蘇らせた幻の“夢”ものがたり(2014.5.2「明治座五月花形歌舞伎」『邯鄲枕物語~艪清の夢』)


明治座『五月花形歌舞伎』2014年5月2日~26日 http://meijiza.co.jp
 
夢の中で栄耀栄華を味わった若者が、目覚めてみるとまだほとんど時間が経っていないことから、人生の儚さを知るという中国の故事「邯鄲の枕」。 

これをモチーフに元治2年(1765年)に江戸中村座で初演された『邯鄲枕物語』は、昭和4年に二代目猿之助が演じて以降、しばらく忘れられていたが、平成5年、9代目澤村宗十郎が「宗十郎の会」で復活。その公演を観て「いつか自分も」とあたためていた染五郎の手で今回、明治座花形歌舞伎公演での上演が実現することになった。筆者もそうだが、現代のほとんどの観客にとって、初見の演目ではないだろうか。 

原作の主人公は夢の中でほぼ「一生」を体験し、人生の儚さを悟るが、歌舞伎版のストーリーはもっと軽妙だ。借金を抱えた職人、清吉(染五郎)が、女房(壱太郎)が飯の支度をしている間に夢を見る。清吉は大坂で、昼は男だが夜は女になってしまうという豪商(歌六)に亭主になってくれと迫られたり、大臣の官職を授かり、月に一万両の小遣いを使わなければならなくなったり、外出すれば追剥ぎならぬ「追剥がれ(亀鶴)」にさらに大金を押し付けられたり。大金を使おうと新町に行けば、傾城(壱太郎)もまた金がありすぎて困っているという。同じ境遇同志、二人は心中を決意…というところで夢が醒め、枕にしていた箱の中身が判明。結構すぎる夢の謎も解けてめでたし、めでたしとなる。 

「振り回される主人公」こと清吉は上品な持ち味の染五郎に良く合い、廓の場でのラメできらきらした紙衣もこの人が着ると悪趣味ではなく、美しく見える。二役の壱太郎は若手ながら作品のとぼけた空気感を掴んでいる感じで、傾城役に風情。豪商役の歌六、追剥がれ役の亀鶴が余裕を漂わせつつ楽しげに怪演し、作品を盛り立てる。宗十郎の部屋子で、彼の忘れ形見的な存在である澤村宗之助が大臣職の授与を告げに来る内侍役を演じ、堅実な芝居を見せている。 

夢の間は出てくる登場人物誰もが「金=厄介もの」という価値観で行動するため、はじめは「そんなナンセンスな」と笑っている観客も、次第に「常識」を揺さぶられ、奇妙な浮揚感に包まれる。この芝居で昼の部が終わり、劇場の外に出ると、夢物語のふわりとした余韻が柔らかな午後の日差しと薫風を受け、心地よく残ってゆく。この季節にぴったりの演目だ。 

昼の部は他に『義経千本桜』「鳥居前」と『釣女』を上演。前者は、きっぱりと大きな芝居をする歌昇の忠信、すっきりとした隼人の義経、古風な美しさのある米吉の静御前がそれぞれニンに合い、今後も定期的に観たい顔合わせだ。『釣女』の醜女役はただ単に笑いをとるか、醜さによる悲哀が強調されることが多いが、亀鶴の演じる今回の醜女は“亭主を尻に敷く妻”を、ほどほどの化粧と時折見せる笑顔でチャーミングに演じている。現代女性としてこれまでで最も“観ていて違和感のない『釣女』”に見えた。

2014年2月9日日曜日

Theatre Essay 観劇雑感 “日本史の闇”に「アッサリ」切り込む『洋服解体新書』(2014.2.8 座・高円寺)

『洋服解体新書』わかぎゑふ、山藤貴子、西牟田恵
文明開化で洋装が急にもてはやされた時代に、とある仕立て屋にやんごとない方からの有難いオーダーが入り、起こる騒動を描く。

プログラムで作者のわかぎゑふは「(40代の頃から、歴史の)闇をアッサリ書くことを試してきて、今回やっとひと山登れた気分です」と述べているが、冒頭からしばらくは、登場人物たちの人柄描写的な場面が続く。職人気質を絵に描いたような者(佐藤誓)がいるかと思えば、ある夢を胸に仕立て屋に弟子入りしようとする若者(うえだひろし)も、貴族(伊東孝明)に身請けされ、仕立て屋の店長を務めることになった元・芸者(西牟田恵)も、うさんくさい競売人(浅野彰一)も、ちょいとエキセントリックな「やんごとないお方」(若松武史)も登場。コメディタッチではあるがストーリーとしてはそれほど動きが無いことにうずうずしてきたころ、突如として物語は展開し、ばらばらに見えていた人々の関連性が見えて来る。

今回の「(歴史の)闇」は、劇中で「山城の鬼」と呼ばれる人々のこと。彼らは奈良時代の昔から1200年にわたり天皇に仕えたが、その仕事内容のために人間ではなく「鬼」として扱われてきたという。 ひょんなことから、この「鬼」の一族の女二人(谷川未佳、小椋あずき)が罪に問われ、長老はその身分のため一時は彼女たちの救済をあきらめかける。が、そこに「新しい時代」の「女(店長)の柔らかい思考」が待ったをかけ、それに呼応して関係者たちが一致団結、女たちを救う。すっきり鮮やかに事件は解決するが、「鬼」の存在が継続してゆくことも最後には示される。調べてみるまで筆者も知らなかったが、この「鬼」は「八瀬童子」と呼ばれる人々をモデルにしているらしい。人権や差別問題にも繋がる「人間社会の在り方」について重い問いを投げかけるこの作品、東京公演は「マネー」と「人間」とどちらを優先させるのかと究極の選択を迫っているように見えた都知事選と、奇しくも時期がオーバーラップ。巧まずして絶妙のタイミングとなっている。

『洋服解体新書』若松武史、浅野雅博
場面としては、ポイント、ポイントに差し挟まれる「やんごとない方」と執事の問答が、若松武史の流麗かつ「いわくありげ」な動きと、彼を冷静に受け止める執事役・浅野雅博の安定感ある芝居で抜群に面白い。テレビドラマ『相棒』にゲスト出演時、若松は動かない芝居でニュアンスを豊かに醸し出していたけれど、こういう「動ける芝居」での彼はさらに水を得た魚のようで、観ていてこちらまで楽しくなってくる。日本演劇界の貴重な存在だ。

当日は最後のカーテンコールで、わかぎゑふが「今日は皆さん、遭難覚悟で(笑)大雪の中、お運びくださり有難うございました。無事にお帰りになれるか…それだけが気がかりです」と挨拶。親身な口調で、座員から「お母さん」と慕われているというのが頷ける人柄が感じられた。

2月16日まで座・高円寺、3月13~16日まで近鉄アート館で上演。

2013年11月15日金曜日

Theatre Essay観劇雑感  「歌舞伎」という芸能ならではの、伝承という温もり(『明治座十一月花形歌舞伎』)



獅童、右近、笑也、松也という珍しい顔合わせで、明治座で花形歌舞伎公演が行われている。 

夜の部は歌舞伎十八番『毛抜』、舞踊『連獅子』、新歌舞伎の『権三と助十』という取り合わせだが、この中では『毛抜』が面白い。怪奇事件に揺れる小野家に乗り込んだ粂寺弾正が、毛抜きをしていて事件のからくりに気づき、陰謀を暴くというのが主筋で、バイセクシャルらしい弾正が小野家の美少年や腰元にちょっかいを出しては振られたり、トリックに気づく瞬間を連続見得で華麗に見せたりと、弾正の破天荒で稚気溢れる描写が立体感をもたらす演目だ。 

『毛抜』獅童 写真提供:松竹
弾正を演じる獅童は、(今は亡き)團十郎に役を習ったのだという。後半、悪者たちを追い詰めてゆく台詞を聞いていると、ところどころ團十郎を髣髴とさせる口跡にはっとさせられる。師の台詞を聴きこんで、役に取り組んでいることがうかがえ、芸を世代から世代へと渡してゆく、「歌舞伎」という芸能ならではの温もりが感じられる。 

“黒幕”玄蕃を大きさ十分に、ゆとりをもって演じる猿弥、類型的な「なよっとした美少年」ではなく武家らしく芯のある秀太郎を演じる春猿のうまさが光り、古風な風情で観る者をほっとさせる門之助が、小野家当主を楷書で演じて舞台を引き締める。また通常はベテランが演じる家老をまだ20代の松也が落ち着いて演じているのが、嬉しい驚き。当主の息子役の笑也、腰元役の笑三郎、姫役の新悟もそれぞれに役を過不足なく演じていて、華やかな一幕となった。 

『連獅子』を踊るのは右近と名代昇進した弘太郎。澤瀉屋ならではのきびきびとした前半の振りを、ぴったりの息でこなし、子を千尋の谷に突き落とす獅子の物語を鮮やかに描いて見せる。 

『権三と助十』松也、獅童 写真提供:松竹
『権三と助十』は駕籠かきの主人公たちが或る冤罪事件に、目撃者として関わってしまう話。助十を演じる松也が冒頭から見せる半裸が、前月、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』でその颯爽とした洋装を見た目には衝撃的(?!)だ。そんなギャップもご本人、観客ともに楽しんでしまうのが、歌舞伎の懐の深さと言うべきだろう。 

*明治座十一月花形歌舞伎 上演中~25日=明治座

2013年6月8日土曜日

Today's Report [Travel] 子連れに[も]優しい、英国の美しい宿 vol.2


ケアリー・アームズ(Cary Arms, http://www.caryarms.co.uk ) エントランス
(C) Marino Matsushima
英国一の海リゾートに登場した、「気取らない」お洒落宿
 
デヴォン州南部の22マイルにわたる沿岸部は、その温暖な気候ゆえ、ヴィクトリア時代以降「イングリッシュ・リヴィエラ」と呼ばれ、英国屈指の人気リゾートとして知られている。ヴィクトリア女王は「絶壁と森に囲まれたこの海には、バレエや戯曲で描かれたニンフ(水の精)が住んでいそう」と語り、現地を代表する町トーキーに生まれたアガサ・クリスティも、エリア内の各地を舞台に推理小説を書き、その優雅なイメージに貢献してきた。そんなイングリッシュ・リヴィエラには最近徐々にお洒落なブティックホテルが建ち、新たな客層が増加。今回訪ねたケアリー・アームズ(Cary Arms) も、そんな宿の一つだという。 

バッバコムという、海沿いの小さな村の崖に張り付くように、この宿はある。短い坂道をジグザグ降りながら入って行くのだが、これがスキー場なら足がすくむような急こう配。よくまあこんなところに建てたものだと思いながら、やっとのことでエントランスに着く。ガストロ・パブ(近年英国で流行っている、伝統的なパブ料理をスタイリッシュにアレンジした店)に8つの客室を併設し、周辺に週単位貸のコテージ4軒を建てた、シンプルでこぢんまりとした作りの宿だ。 

意外にも透明度の高い、静謐な海。桟橋から見下ろすと、泳いでいる魚が
見える。浜辺は奥へと歩いてゆくにつれ、細やかな砂に変わってゆく。
(C) Marino Matsushima
海辺ならではの解放感に加え、入口がパブのそれでもあるので、気安さは満点。カウンター内側に声をかけると、看板娘(?)の気さくな女性スタッフがひょい、と笑顔を覗かせる。「駐車場の入口が狭くて、車が入れられないんですが…」というと、「鍵置いてくれれば、入れとくわよ」。2歳の娘にも「あら、おちびちゃんもいたのね、こんにちは」と自然に声をかけてくる。後に分かることだが、この気取らない「感じの良さ」は、どのスタッフにも共通していた。 

客室Admiralのテラスから眺める日の出。(C) Marino Matsushima
スペイシーなバスルームからも、海が
一望できる。(C) Marino Matsushima
客室は全室、海に面したシービュー。私たちが案内された部屋Admiralは一番奥まった位置にあり、窓の外にはごつごつした岸壁と、それとは対照的に静かな海が広がっている。早朝、黒い岩の間からぐんぐんとのぼり、海面に光を投げかける黄金色の朝日。これを見るためだけでも、泊まる価値があると思える。日の光は、寝室より広いのでは?というほど大きな浴室にも燦々と差し込み、朝のバスタイムを何か特別な、輝かしいひとときに感じさせる。

洋酒入りのウェルカム・ケーキは、濃厚だが長旅の
疲れを癒すにはほどよい甘さ。(C) Marino Matsushima
ロケーションが一番の魅力であることは宿自身心得ているようで、ボートやダイビングの手配はリクエストに応じて行っているものの、特別なアクティビティは、ここでは用意されていない。ただ、部屋の片隅に、この宿用に編集された「ウォーキングガイド」が置いてあり、周辺のウォーキングルートや代表的な見どころが丁寧に紹介されている。一色刷で文字と地図だけの地味な冊子なのだが、「…博物館の無料チケット、受付に用意しています」などお得情報も書かれていて、精読に値する。チェックイン時に部屋に置かれた子供用の玩具もそうだが、こういうさりげない、しかし気の利いたプレゼントが、このホテルらしさなのかもしれない。 

馬たちが草をはむ、ダートムア国立公園。
(C) Marino Matsushima
宿を拠点とした観光としては、子供が1時間以上歩けるなら、前述のウォーキングが楽しそうだが、車を使えばアガサ・クリスティの生地トーキーや別荘のあるグリーンウェイ、美しい港町ダートマス、大聖堂のあるエクセターなど、見どころは数多い。そんななかでチビ連れでも意外に楽しいのが、ダートムア国立公園だ。 

荒野を下りながら、かくれんぼ。
(C) Marino Matsushima
広大な荒野に古代遺跡や奇岩が点在する公園だが、なだらかな起伏があちこちにあるので、子連れハイキングにちょうどいい。アガサ・クリスティが最初の小説「スタイルズ荘の怪事件」を書いたムーアランドというホテルがあるというので見に行くと、その先の小高い丘の上にどんとそびえる奇岩があり、いかにも手招きされているよう。娘に「あそこに登ってみる?」と聞くと、途中、野性馬の群れに気がまぎれたこともあって、かなりの距離を歩きおおせた(最後はパパに肩車をしてもらっていたが)。目標だった奇岩の後ろに回ってみると、何人ものロッククライマーたちがびゅうびゅうと吹き付ける風をものともせず、本格的な装備で登っている。初めてだらけの光景にはしゃいだ娘は、下る途中ヒースの茂みを見つけては、最近、娘が気に入っている遊び「かくれんぼ」をしたがり、大人二人はその都度、娘の背丈ほどしかない茂みの後ろに、かがみこんで隠れる羽目になった。

サンルーム席でのディナー。
手前がお子様メニューの
(巨大!)ソーセージ。
(C) Marino Matsushima
宿に帰ると、休む間もなくお砂遊びに繰り出し、気が付けばディナータイム。のんびりしているようでも、時間の過ぎるのはあっという間だ。食事スペースはパブ内部、サンルームの2タイプあり、どちらからも海が見え、居心地がいい。料理は定番メニューに加え日替わりも用意していて、フレッシュで旬な食材を生かすことを心がけているらしい。パブらしい豪快さを残しつつも美しい盛り付けだが、どれを頼んでもボリュームたっぷりなので、前菜、メインのどちらかだけでもいいかもしれない。 

パブスペースでの朝食。娘はもちもちと
したパンケーキ(手前左)をいたく気に
入っていた。(C) Marino Matsushima
「お子様メニュー」というのがあったので頼んでみると、「ソーセージ」は日本のラーメン鉢よりも大きなボウルにマッシュドポテトを敷き詰め、長いソーセージが2本。「チキン」は特大のプレートにフライドポテトが山盛り、その上にナゲット風のチキンが二つ…と、シンプルこの上ない。食いしん坊の娘は夢のようなてんこ盛りを前にニコニコ顔だったが、親としては日本のお子様ランチ風に、何種類かの食材を使って欲しいという気もしなくもない。朝食のビュッフェ、ホットミールはチョイスも多く、一つ一つが申し分なかっただけに、この点は今後に期待したい。 

宿泊客専用ラウンジ。(C) Marino Matsushima
パブの奥、ゲストルームへの扉を押すと、宿泊客専用のラウンジがある。ここも海を一望できる作りで、古書やちょっとしたゲームなども置かれている。もう少し子供が大きくなったら、この空間で一緒にゲームに興じたりもできるのだろうか…。
テーブルに置かれたチェスの駒を持ち上げては「これお馬さん?こっちはなあに?」とパパに尋ねる娘を眺めていて、そんな未来をふと、夢想してしまった。