2011年6月17日金曜日

Today's Report [Art] 「技法」からクレーを知る回顧展

「パウル・クレー おわらないアトリエ」東京国立近代美術館 開催中~7月31日まで。開催スケジュールに変更の可能性があるので、来館前にはHP等でご確認を。http://www.momat.go.jp/
2011.530「パウル・クレー おわらないアトリエ」展 記者内見会(東京国立近代美術館)
 一人の作家の回顧展というと、作者の人生(画業)をいくつかのステージに分け、それに応じて作品を時系列に並べるのが一般的だ。
最近の好例としては「ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」(201010月、国立新美術館)。誰もが知っているゴッホの画業を改めて整理し、希望を胸にパリに上京したゴッホが、自分のスタイルを徐々に確立させて行く一方で周囲と衝突。そのまま狂気、自死へと至る過程を、アトリエの再現などの工夫とともにわかりやすく、臨場感たっぷりに紹介していた。作品展示を見終るころには、芸術に没頭するあまり破滅してしまった一つの人生の痛ましさが、余韻を残す展覧会でもあった。
今回のパウル・クレー回顧展はしかし、この「時系列」スタイルをとっていない。
「方法」型、つまり、作家がどのように作品を制作したかという「方法」ごとに作品を分け、提示することで、クレーの画業を紐解くのだという。
これまで、ありそうでなかった(と思われる)展示スタイルに興味を抱きつつ竹橋、東京国立近代美術館の特別展会場に足を踏み入れると、まずはクレーの自画像の数々に迎え入れられる。ユーモラスだがどこか繊細で、「ひょっとして家族や友人は付き合いが大変かも…」と思わせる線描の自画像。その次の展示室の、彼が各地に持っていたアトリエの写真とそこに写った作品群展示の中には、よく見かけるクレー作品もあり、「そうそう、クレーと言えばこういう色彩、構図だった」と再確認させられる。そしていよいよ、メインの大空間へ。
「うん?」
どう歩いたものかと一瞬、とまどいを覚える。
大空間の中にはいくつか展示パネルの「島」があるが、それらは三面、あるいはそれ以上の面を持ち、いびつな形をしている。(後で会場を上から見た設計図を見ると、三角形だったり凹みのある台形だったり)。これだけでもかなり不思議な感じがするが、それらの配置もまた不規則なので、観る側は最初のパネルを見終ると「次は、どこ?」ときょろきょろしてしまう。とりあえず裏手に回ってみたりするうち、通常の展覧会のように「順路通り」に鑑賞しなくてはという感覚が失せ、「ぶらぶら歩き」のような気楽さが生まれてくる。
これこそ、本展の趣向の一つなのだそうだ。
《バルトロ:復讐だ、おお!復讐だ!》1921,5 紙に油彩転写・水彩・上下に水彩による帯・厚紙に貼りつけ、24.4×31・2㎝、個人蔵(ベルン、スイス)
内見会後の記者会見で本展を担当した、東京国立近代美術館の三輪研究員が語ったところによると、この会場デザインは建築家、西澤徹夫によるもの。「一つの展示パネルを見ていると、別のパネルの作品もちらちら視界に入ったりする。自由に、絵画の森の中を散策しているような感覚で鑑賞できる(というのが狙い)」なのだそうだ。ちなみに京都会場での本展も同じデザイナーが担当したが、このときは図書館の書棚のような別バージョン設計だったという。
さて肝心の、この部屋の展示はというと、クレーが試みてきた様々な技法のうち、代表的な4つの紹介。「油彩転写」「切断・再構成」「切断・分離」「表裏の利用」の技法を用いた作品群が、4つの「島」に振り分けられている。
《E.附近の風景(バイエルンにて)》1921,182 紙に油彩・インク・切断して再構成・水彩とペンで縁どり・厚紙に貼りつけ、49.8×35.2㎝、パウル・クレー・センター(ベルン) 
《カイルアン、門の前で》1914,72 紙に水彩・鉛筆・厚紙に貼りつけ、13.5×22㎝、ストックホルム近代美術館
最初の島で紹介されるのは「油彩転写」。目に留まりやすい位置に書かれた説明によると、鉛筆やインクで素描を描き、それを黒い油絵の具を塗った紙の上に置いて、素描の線を針でなぞる。転写された線描の上に、彩色したり、リトグラフなどに発展させるという技法、とある。「素描と彩色画、版画の間を揺れ動くような技法」なのだそうだが、これだけ読むと「最初から油彩キャンバス上に線を描いてもよさそうなのに…なぜ、そんな手間を?」という疑問がわき起こり、何度も読み返してしまう。
だが、解説から離れて作品群を見始めると、「わざわざ転写された」線には一目瞭然、独特の風合いが見て取れる。「バルトロ:復讐だ!おお、復讐だ!」の素描と油彩転写バージョンを例に取れば、油彩転写のほうの線には、直接描いたのとは異なるかすれが生まれ、どこか素朴で頼りない「味」が生じて、何とも魅力的だ。明確に分かれた複数の技法の領域をぼかし、融合させてみたことで、得られた収穫といえるだろう。
《考え込んで》1939,918 紙に水彩・色鉛筆・厚紙に貼りつけ、19.8×29.4㎝、個人蔵(スイス)パウル・クレー・センター(べルン)寄託
そのほかの3技法は、解説段階からすんなり頭に入りやすい。「切断・再構築」は一度仕上げた作品を切断し、その断片を反転させて組み合わせたり、ちょっと間隔をあけて組み合わせるというもの。(例:「E.附近の風景 バイエルンにて」)。
「切断・分離」では、切断した断片を別々の作品として独立させてしまう(例:「カイルアン 門のまえで」)。
「表裏の利用」では、一つの作品の裏面に別の作品を描き、作品の次元を二次元から三次元に広げたり、裏面の作品がいつか発見されるのを待つことで作品に時間的広がりを与える。(例:「考えこんで」)。
切ったり、表裏両面に描いたり…というと、「幼児がお絵かき遊びの際に偶発的に行う可能性もあるなあ」という気もする。実際、クレーは教育にとらわれていないこどもの絵画をひとつの範としていたそうだが、生涯、芸術の在り方を考えつづけたという彼を研究者ではなく芸術家たらしめたのは、この「こどものような発想」、そしてそれを具現化できる力だったのかもしれない。
この展示空間の出口付近にはもう一つ、クレーが自ら「模範作品」として手元に置き続けた、「特別クラス」の作品群が展示されている。この回顧展の「まとめ」でもあり、今回クローズアップされた4つ以外にも彼が様々な引き出しをもっていたことを示す、贅沢な「おまけ」でもある。
クレー自身は1940年に亡くなっているけれど、この展示を見ていると、まるで彼がまだ存命中で、企画者と「こういうのはどう?」とアイディアを出し合いながら作りあげた場のような感覚を抱く。クリエイティブ、かつ噛み応えのある展覧会である。

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