2012年12月5日水曜日

Theatre Essay 観劇雑感 番外編 「心の中の勘三郎さん」2012.12.5


 中村勘三郎さんが亡くなったというニュースを、信じられない思いで読んだ。 

「うまい役者」であった。
 どんな役も滑らかにこなしたが、とりわけ黙阿弥等の世話物を演じると、様式とリアリズムの塩梅が絶妙な演技で、観客を自然に江戸の世界にいざなった。
「髪結新三」の小悪党の凄み。「籠釣瓶」の純情男の狂気。「四谷怪談」の裏切られた女の怨念。「三人吉三」の非情な兄貴分。
 現在も活躍中の尾上菊五郎と並んで、歌舞伎の「世話物」というもの、ひいては「江戸の息吹」というものを今に伝えられる、希少な役者だった。
 時代物では、「忠臣蔵」塩谷判官や九段目のお石ら、封建社会の枠組みの中で理不尽な運命に耐える人々を、品性と悔しさとを滲ませながら演じた。
 

 同時に、群を抜いた「プロデューサー」でもあった。野田秀樹や串田和美、渡辺えり子ら、現代劇の人々を歌舞伎に引き入れ、「野田版 研辰の討たれ」のような傑作を生みだし、コクーン歌舞伎で古典の新演出を試みた。江戸時代の芝居のスピリットを「平成中村座」で体現もした。2004年の平成中村座のNY公演では、現地の風景や人々を取り込む演出で、それまで「歌舞伎と言えば隈取、女形…」といった古典的なイメージしかなかった海外の人々に、江戸時代に本来歌舞伎が持っていた「アバンギャルドな芸能」という側面を見せもした。間違いなく、21世紀の歌舞伎の可能性を拓いた人だった。一度、ある雑誌の対談企画をコーディネートしたことがあるが、表では常にエネルギー全開のように見える彼が、対談では楽しいエピソードを繰り出しながらも、要所要所では思慮深く言葉を選んでいた。大きな夢を次々と実現してきたのは、彼の役者としての技量と人気に加えて、この聡明さがあってこそだと感じたものだった。 

 そして何より、「チャーミングな役者」だった。歌舞伎座でも、コクーンでも、NYでも、彼は花道から舞台から愛嬌たっぷりに登場し、観る人の心を掴んだ。「役者本人であると同時に役を演じる」という、歌舞伎独特の役者の在り方を体現していた。筆者は学生時代、ある役者さんの付き人をしていて、花道鳥屋で勘三郎と遭遇したことがあったのだが、筆者が学生歌舞伎である役を演じると知って「あの役はね、これこれの型でやってみると面白いんですよ」と、もう1分後には出番だというのに別の芝居の話を、学生相手に、実に丁寧にしてくれた。そしてきりっと役に切り替えると、鳥屋から花道へと踏み出していった。
 チャリンという音の余韻の中を、歩いてゆくその後ろ姿の残像が、今、心の中に蘇る。

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