2011年3月26日土曜日

Theatre Essay 観劇雑感 「藤原紀香、全身全霊のマルグリット」(2011.3.17 『マルグリット』)

『マルグリット』左から田代万里生、藤原紀香 撮影:田中亜紀、写真提供:ホリプロ
 東京公演(赤坂ACTシアター)3月28日まで 大阪公演(梅田芸術劇場メインホール)4月6~10日
3.17 「マルグリット」(赤坂ACTシアター)

3111446分、未曽有の大地震が東日本を襲った。
 東京では震度5。その時、筆者は買い物中で、屋外に出ると、陸上にいながら船酔いをするほどの横揺れを感じ、周囲の人々とともに必死にバランスをとった。電柱が頼りなくスイングし、繋がれた何本もの電線は今にも切れ、人々の上に襲いかかろうとする。ようやく揺れがおさまると、通信手段、交通機関の混乱が始まった。多くのイベントが中止となり、この日が初日の予定だった『マルグリット』も休演を余儀なくされた。
 劇場の安全点検のため数日間の休演が続いたのち、公演HP17日の初日を告げた。もともとこの日に観劇予定だった筆者は偶然、初日を観ることとなった。

『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』の作者コンビ、アラン・ブーブリル、クロード=ミシェル・シェーンベルクが、フランス史最大のタブーであるヴィシー政権時代を敢えて描いた意欲作『マルグリット』。
第二次大戦中、ナチスに協力しユダヤ人排斥を行ったヴィシー政権は戦後、「国の恥」としてほとんど語られることがなかったが、二人は「避け続ける限り傷はいつまでも癒えない」と、19世紀の小説「椿姫」のストーリーを借り、ナチスという大樹に寄って利益を得、風向きが変わればたやすく転向する人々の中にあって、命がけで愛を貫く主人公の姿をシンプルかつ力強く描きだした。(ブーブリル、シェーンベルクの作品に対する思いは、2年前の日本初演時に筆者が行った日経トレンディネットでのインタビューで語られている。アーカイブはhttp://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/jidai/090219_alain_claude1/

2年前の日本初演に続く今回の再演では、元・歌手で現在はナチス将校の愛人であるマルグリット役を、やはり2年前、『ドロウジー・シャペロン』で華々しくミュージカル・デビューを果たした藤原紀香が演じるのが最大の話題。1幕、マルグリット40歳の誕生日パーティーで彼女が最初のソロ、「チャイナドール」を歌う段になると、場内は固唾をのむような空気に包まれた。キャストの多くが音楽畑出身。初演に続き、今回も幕開きからアンサンブルの歌唱力の高さが際立っている。この中で彼女はどんな歌を歌うのだろう、という期待と緊張である。
ピアノ弾きがイントロを奏でる傍らで、おもむろに息を吸い込む藤原マルグリット。作曲家ミシェル・ルグラン特有の、聴いている分には何気ない、しかし歌うとなると変化に富み、手ごわそうなメロディを、彼女は口先でなく、体全体を使って発した。高音の発声から、真摯にトレーニングを積んできたことが伝わってくる。退廃的な暮らしを謳歌する元・歌姫、という設定にはにつかわしくない歌唱かもしれないが、11日以来、日本が(物理的にはもちろん、)精神的に大きく疲弊した中で、誠実そのもののこのアプローチは、観客の心にすっと染み入るものだった。

初演に引き続きこれ以上の適役はないだろう、田代万里生の瑞々しく力強い青年アルマン。残念ながらソロはあまり多くないが、ちょっとした節回しに陰影をつけ、熟練歌手の面目躍如である西城秀樹のナチス将校。
周囲のキャストにも恵まれ、藤原マルグリットはとまどいながらも、愛のために生き、全力で愛する人を守ろうとする女性へと人間的成長を見せる。勇敢に突き進むヒロイン像は長身のスター、藤原にぴったりと思われそうだが、実際にはそれよりも終盤、世の趨勢で世間から「裏切り者」とレッテルを貼られ、尾羽打ち枯らしたマルグリットの表現ががぜん、光る。
例えばナチス将校という後ろ盾を失い、昔のマネージャーに背を向けられ、途方に暮れて立ち尽くすシーン。とぼとぼと歩くその姿は急に老け込み、それまで「とても40歳には見えない」と誉めそやされた元・歌姫の姿はどこにもない。肩を落とす、といった技術だけでは、こうはいかない。藤原紀香は全身全霊でこの役を演じている、と確信させる数秒間だった。
終演後のカーテンコール。六日も延期され、やっと迎えた初日であれば、ほっとした表情や涙があってもおかしくないところだが、カーテンコールでの藤原の表情は硬いままだった。ひとしきり拍手を聞くと、彼女は客席に向かって、この状況下での来場に対する御礼を述べ、また「この作品も、『愛する人を守りたい』、『愛することの尊さ』を描いた作品」と、作品と被災地への思いを重ねあわせ、最後に募金を呼びかけた。阪神大震災を経験し、一度きりの人生を悔いなく過ごそうと芸能界に入り、チャリティ活動にも積極的にかかわってきた彼女。 2年前にインタビューしたとき、自分を動かす原動力、夢について尋ねると、少し考えてから、きっぱりとこう語っていた。
「みんなを幸せにしたい」。
 少なくとも震災以降、悲しみと不安の押し寄せる日々にあって、筆者はこの日初めて、ひととき現実を脇に置き、舞台世界に引き込まれることができた。
 演じているその人の心がこれほど感じられる観劇も珍しく、演劇の芯にあるものはなによりも「心」なのだと、改めて思った。

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