2010年12月4日土曜日

Theatre Essay観劇雑感「日本のstorytelling、落語」(2010.11.20花緑ごのみ『我らが隣人の犯罪』)

「我らが隣人の犯罪」(赤坂REDシアター)
 宮部みゆきの同名小説を真柴あずきが脚色したこの新作落語を、柳家花緑は和服でなくスーツに身を包み、座布団でなく白いコンテンポラリーなソファの上で語る。
現代版長屋ともいうべきタウンハウスに引っ越してきた一家の子どもたちが、隣家の飼い犬騒音トラブルをきっかけに、思いがけない大事件に出会い、少しだけ成長してゆく。飼い犬のけたたましい鳴き声を、のどを痛めんばかりにリアルに再現し「いやもう大変なんですから」と笑わせたりしながら、花緑はスリリングでいて、良質な子供向け冒険小説のようなほのぼのとした物語世界をテンポよくつむいでゆく。のみならず、最後にはソファから立ち上がり、激しいアクションまでやってみせる。
このニューウェーブ落語を観て(聴いて)いて、ふだんは「日本の伝統芸能」というジャンルにおさめられていて忘れがちだが、落語は世界のどこにでもあるstorytelling(物語り)の一種であることを改めて思った。
歌や踊りと並んで人間の最も原始的、本能的娯楽である、人から人へ、口から耳へと物語を伝える行為。
最近、経済破綻に苦しむ様がニュースでも話題のアイルランドなどでは、今も農村部を中心に「生きた」娯楽として存在している。
だがアイルランドのstorytellingと決定的に違うのは、落語が「プロによる立体的、演劇的物語り」であることだ。アイルランドにもプロの語り部はいるが、主流は民間で、趣味を同じくする人たちが誰かの家に集まり、暖炉を囲み、紅茶のマグを片手にしながら順繰りにお得意の物語を披露する、といった全員参加形式。語る内容もアイルランドでは神話、歴史的エピソード、笑い話、怖い話、宗教色の濃い話など様々ではあるものの、ストーリーをテンポよく語っていくことが「肝」で、台詞はそう多くない。それに対して、落語は物語の中に台詞が頻出、基本的に座布団に正座してはいるものの、手を使った形態模写もしばしば登場。まるで情景がそこに再現されているかのような、演劇的な語りなのだ。
アイルランドには「三枚のお札」風の話もあれば、人間の姿をした動物と人間が結ばれる話など、日本の民話と類似した物語もある。以前、ミュージシャンのエンヤにこのことを話したとき、「昔、どちらかの国の人が旅をしたときに伝わったのではないかしらね」などと盛り上がった。
こういう物語をネタに、アイルランドの語りと日本の落語の競演、というのがあっても面白いのではないだろうか。

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