薄闇の中に赤いリボンがゆらめく。音楽に合わせ、はじめは小さく、しかし次第に大胆に。
新体操のリボン種目よろしく、演じ手がスティックに取り付けた二本のリボンを操っているだけなのに、それはまるで、生きて意思を持つものであるかのように踊る。
観ている側はすぐに、これが「炎」を表していることを了解し、危うさや美しさを秘めたその動きを眺めつつ、ふとこんなことを思ったりする。「そういえば子どものころ、不思議がりながら蝋燭の炎に見入ったことがあったっけ…」。
5分にも満たない短さながら、「子どものような無垢な発想」を「大人の熟練技術」で見事に表現している点で、このシーンは実にかわせみ座らしい、と言える。
大人の中の「童心」を呼び覚ます、こうした場面が次々に展開する「ぽえピュア」。(「ポエム」と「ピュア」を組み合わせた造語だそうだ。)再演である今回はそれに、演者の「動き」を見比べる面白さも加わっている。
人間(俳優)と人形が共演するかわせみ座の舞台では、人間、あるいは人形ならではの動きの可能性と限界とが、同時に提示される。今回も、クラシックバレエ経験があると思われる女優、益村泉とパントマイマーの藍義啓の、身体訓練を積んだ者ならではの、指先まで神経の行き届いた滑らかな動きと、人形作家でもある山本由也が扱うパペットたちの、人形ゆえのぎこちなさと、人間にはない柔らかさを併せ持った動きが交錯し、自由な動きとは何か、美しい動きとは何かと考えさせる。そこにもう一つ、今回は山本、益村夫妻の長男でもある少年、飛翠(ひすい)の動きが、新たなスパイスとなっている。
彼は5年前から既にかわせみ座の舞台には出演しており、はじめは「小さいのに頑張っている、かわいい男の子」的存在だったのだが、11歳になった今、演じ手としての自意識が生まれたのだろうか。明らかに、どう演じるかを自ら考え、舞台に居ることを楽しみ始めていることが伝わってくる。その一方で、以前は幼児の身体ゆえの、人形にも近いぎこちなさをはらんだ動きだったのが、今回は手足もずいぶんと伸びて表現力も増すと同時に、いかにも活発な男の子らしく、元気が体に収まらず、あちこちから噴きだしているかのような動きを見せる。繊細なパペットを扱う作品世界で、そのやんちゃな動きは突出して見え、目には見えないはずの「子どもの生命力」とでもいうべきものが、ほぼ黒幕のみのシンプルな舞台に、花火のように鮮やかに浮かび上がる。
大人の動き、人形の動き、子どもの動き。
それぞれに美しく、自由で、味わいがある。
三者の対比がこれほど興味深い舞台、かわせみ座以外にはちょっと思いつかない。
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