『YMO やっとモテたオヤジ』左からおかやまはじめ、俵木藤汰、三鴨絵里子 撮影:木村洋一 写真提供:ラッパ屋 |
12.25 ラッパ屋「YMO~やっとモテたオヤジ」(紀伊國屋ホール)
観客の9割が女性という舞台も少なくない中、ラッパ屋は男性サラリーマンのファンも多い、稀有な劇団だ。
人気の理由は、親しみやすさ。
「いるいる、そういう人」と思えるキャラクターたちが、「あるある、そういうこと」と思える出来事に出くわす。
…いわば「普通の人々の何気ない日常」がモチーフなのだが、それが作・演出の鈴木聡の手にかかると、いくつもの「まさかの偶然」や「とんでもないハプニング」で楽しく彩られ、観客は笑ったりほろりとしながら、最終的には「愛すべき人たちのそう悪くない人生」を見た、という気分になる。「濃い」キャラクターはいても、嫌悪感を抱かせるような人物は出てこないのも、日頃、人間関係に疲れている身には心地良いし、俳優たちの口跡が良く、台詞が聞き取りやすいのもいい。終演後、自然に「軽く一杯、飲んでいこうか」という流れになりやすい芝居なのだ。
そんなラッパ屋らしさが惜しみなく発揮され、劇団の代表作になるかも?というほど「いい感じ」な作品が、今回の『YMO』。ずばり、サラリーマン社会が舞台だ。
50代バツイチのサラリーマンと、41歳「いまだ」独身の女性派遣社員。ごく普通…というか地味この上ない二人が、同僚や上司、元妻、後輩に昔の恋人など、カラフルな周囲の人々に揉まれながら、ひょんなことから生まれた縁を育ててゆく。本気とも冗談ともつかないやりとりで無難に時を過ごす典型的「サラリーマン会話」や、久しぶりに再会した女性同士が近況を探り合ううち、たった数分で「勝ち組」「負け組」の雰囲気が出来上がってしまう様子など、ちょっとしたディテールに「あるよね、こういうの」とうなずきつつ、観る側はいつしか登場人物たちに「知り合いの○○さん」的親しみを抱き、主人公たちの不器用な恋が形を成してゆく様を、ほのぼのとした気分で眺めることになる。
…が、この芝居は「地味な二人のハッピーな恋物語」には終わらず、終盤、驚くような展開を見せる。(それが場面転換なしに一言の台詞で起こってしまうのが、演劇の面白さだ。)
このどんでん返しは一見、「思いがけない悲劇」なのだが、ある程度人生を生き、いろいろ見聞きしてきた世代なら、悲しいかな、「あるかもねえ、こういうこと」と思えるような出来事でもある。
以降、芝居は感傷を排し、淡々と進行するが、幕切れでは登場人物のほぼ全員が空を見上げ、ある人に思いをはせる。一つの、「ごく普通の人生」が肯定されるこの瞬間、じんわりとした温かさが劇場を包み込む。悲劇を声高に叫ばれたら大方の観客は引いてしまうところだが、この「淡々とした中の、ほのかな温かさ」という加減が、ちょうどいい。単なる情景描写のようでいて、実は芝居のなかほどで登場した言葉に因むヒロインの最後の台詞も、さりげなく、うまい。作者の鈴木聡がコピーライター出身、いわば「普段着の言葉のプロ」ゆえ当然なのかもしれないが、文学的な言葉を連ねた演劇とはまた違った、「職人」技だ。
仕事帰りに肩の力を抜いて劇場を訪れ、いい気分で一日を終えたいとき…。
ふだん、「芝居?俺はちょっと。」などと敬遠している人を劇場に誘いたいとき…。
思い出したい劇団、である。
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